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2004.06.02

新選組!13の2

今回の新選組!マイナー隊士の紹介は、河合耆三郎です。

ドラマでは、第20回「鴨を酔わすな」の中で、新規隊員募集に応じて
現れましたね。試験官役の藤堂平助との立ち会いで、ひたすら平助
の構えを真似する姿が何ともユーモラスでした。

河合は、ドラマで自己紹介をしていたように播磨高砂の人で、1838
年(天保9年)に、土地の大きな塩問屋河合儀平の長男として産まれ
ました。(一説に大阪浪人ともいいます。)商人の子である彼が、なぜ
新選組に応募したのかはよく判りません。童門冬二さんは、武士にな
れるのが魅力だったのだろうとされています。実際、そういう動機で応
募してきた隊士は、多かったのでしょうね。

試験立ち会いで平助に手玉に取られたように、剣術の腕は大したもの
ではなく、算術の才を買われて入隊したようです。ドラマでは、山南が
前川邸に隊士を収容した際の一人あたりの畳数を計算させ、河合がそ
れに見事に答えた事で即決になっていましたね。あのやりとりの間は
絶妙なものがありました。

そうしたいきさつにふさわしく、隊では勘定方の第二席を占めています。
商人の子らしく如才がなく、愛嬌もあって、隊内では可愛がられていま
した。また、家が金持ちですから懐具合はいつも暖かく、金に困ってい
る隊士がいれば、自分の金を貸してやったりもしていたそうです。そうい
う彼ですから近藤にはひどく信用されていたそうですが、どういうものか
土方とはそりがあわなかったらしいですね。

およそ無骨な事は似合いそうにはない彼ですが、1864年(元治元年)
6月5日に起こった池田屋騒動のときには、土方隊に属して相役の酒
井兵庫と共に参加しています。この頃の新選組は、脱走者が相次ぎ、
また病人も多かった事もあり、動員できる隊士が少なかった様ですね。
ですから、勘定方といえども貴重な戦力として駆り出されたものと思わ
れます。どういう働きをしたのかは判りませんが、15両の報奨金を受け
取っていますから、それなりの活躍をしたのでしょうね。

翌月に起こった蛤御門の変の後には、長州勢の残党がいないか、また
遺棄していった武器がないかを探索するために、摂津へ出向いていま
す。戦利品はなかったようですが、これなどは、勘定方にふさわしい任
務と言えそうですね。

その彼に、悲劇が襲いかかります。1866年(慶応2年)2月2日、彼は
隊費として保管していた現金のうち、五十両がなくなっている事に気が
付きます。このとき、直ちに申し立てていれば災難は襲ってこなかったか
もしれませんが、事が表沙汰になる事をおそれ、誰にもいわずに済ませ
ます。五十両くらいの金であれば、実家から取り寄せてすぐに穴埋め出
来ると考えたとされてますが、一説にはこのとき近藤が不在で、上司と
いえばしっくりいかない土方しかおらず、言い出しにくかったのだとも言い
ます。ところが、悪い事は重なるもので、その土方から隊内にある現金を
出す様に命じられます。額は五百両、丁度そのとき隊内にあるはずの金
額でした。このときになって初めて、彼は五十両足りない事を土方に告げ
ます。彼は誰かに盗まれたと主張しますが、土方は信用せず、河合を監
禁します。

河合は、取り調べに当たった監察の新井忠雄に対し、「金は盗まれたも
のだが、保管していた私にも責任があり、実家に飛脚を出して五十両を
とりよせて穴埋めする。」と懇願します。土方はすぐにでも斬ってしまいた
かったのですが、新井がとりなして、十日の猶予を与えられる事になりま
した。新選組にしては甘い処分の様に思えますが、このあたりは普段の
人柄がものを言ったのでしょうか。

河合は、直ちに実家に向けて急飛脚を放ちます。しかし、何日待っても
実家からの返事はありませんでした。この間、河合は何度も飛脚は来な
いかと聞いたと言います。そして、とうとうそのまま十日が経ち、2月12
日に土方が処分を決します。河合の処分は切腹ではなく斬首でした。隊
の金を盗むような者は、武士とは認めないという事だったのでしょうか。武
士にあこがれた河合にとっては、残酷な処置でした。

斬首の場に引き出されてからも、河合は「まだ播磨から飛脚は来ません
でしょうか。」と聞いたといいます。そして、「斬首ですね、切腹ではないの
ですね。」と悲しそうに何度も繰り返したそうです。斬首にあたったのは沼
尻小文吾という平隊士でしたが、あまり腕の立つ方ではなかったらしく、
初太刀をしくじり、肩を斬ってしまいます。すると、河合は泣き叫びながら
逃げ出し、沼尻がこれを追いかけてようやく斬り倒すという修羅場になって
しまいました。

播磨からの飛脚が来たのは、その三日後でした。父親が他行していたた
め河合からの手紙が届くのが遅れたのです。河合が斬首された事を聞い
た父親を始めとする親族は続々と京都に上り、屯所に抗議に訪れました。
近藤、土方は取り合いませんでしたが、彼等は収まらず、河合の葬儀とし
て、大勢の僧侶を動員し、空の輿を担いで鉦を鳴らしながら屯所の前を何
度も行ったり来たりしたそうです。そして、隊への当てつけでしょう、輿の後
ろには千両箱を背に乗せた馬を引き連れていたそうです。

その後、屯所の周囲に怪しい人影が出たり、また河合を斬った沼尻が襲
われたりという事がありました。これらは恨みに思った河合の親族の仕業
ではないかと当時は言われていたようです。

河合の墓は壬生寺の壬生塚にあります。他の隊士に比べて一際立派な
もので、予備知識を持たずに壬生塚を訪れたなら、きっと局長と並ぶ幹部
クラスの人物だったと思うでしょうね。これも、彼の親族達が建てたもので
す。裕福な彼等にすれば、わずか五十両の金を盗んだとして処刑された事
が、余程口惜しかったのでしょうね。なお、光縁寺の山南の墓碑の側面に
も彼の名が刻まれています。

ちなみに、土方が命じた五百両の金は、近藤が深雪太夫を身請けするた
めのものだったという説があります。河合の取り調べに当たった新井の後
日談ですが、深雪太夫が身請けされたのはこれより1年も前の事で、実際
にどうだったのかは良く判っていません。

河合耆三郎の墓の写真は次のところにあります。

壬生塚

この項は、子母澤寛「新選組始末記」、童門冬二「新選組の光と影」、別冊
歴史読本「新選組の謎」、新人物往来社「新選組銘々伝」を参照しています。


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