« 新選組!12 | トップページ | 新選組!13 »

2004.05.26

新選組!12の2

今回の新選組!マイナー隊士の紹介は、野口健司です。

野口健司はあまり資料が残っておらず、謎の部分が多い隊士です。新選組始末記で八木為三郎は、「ただ痩せた丈の高い人だったような朧な気がする。」とだけ述べています。このドラマでは岡本幸作さんが演じており、若いというより幼いという印象を受けます。それもそのはず、当時21歳だったのですね。これは、22歳だった沖田総司よりも若く、藤堂平助より一つ上という事になります。

彼は、1843年(天保14年)に水戸で生まれています。江戸の百合元昇三道場で神道無念流を学び、目録を得ました。この道場には永倉新八が住み込んでいた事があり、二人が旧知の仲だった可能性が考えられます。永倉は野口よりも4歳年長であり、二人が一緒に居た時期があるとすれば、永倉が兄貴分のような存在だった事でしょうね。

1863年(文久3年)の浪士組の募集に際しては、芹沢鴨らと共に参加しています。芹沢との接点がどこにあったのかはよく判っていませんが、おそらくは郷党の先輩であり、同流の皆伝者でもある芹沢と江戸で出会い、誘われるままについてきたというのが実態ではないでしょうか。自然、隊では芹沢のグループに属し、行動を共にします。芹沢が京都に残留を表明すると共に残り、新選組結成メンバーの一人として名を連ねる事になります。新選組での地位は副長助勤でした。

彼の事績としては、まず平野屋から借りた100両の借用書の筆頭に名前が見られます。昨日の記事に書いた様に、土方、永倉、沖田らと共に金策を行った時のものです。次に彼の名前が出てくるのが、6月3日の大阪相撲との乱闘事件です。

この前日、彼は、芹沢、近藤、山南、沖田、永倉、斉藤、平山、井上、島田と共に大阪を騒がせる浪士の取り締まりのために下阪し、浪士の捕縛に成功しています。翌日、所用のあった近藤と井上を除く8人は大川で船遊びに興じます。彼等は、船を下りた後北新地へ向かうのですが、この道すがら大阪相撲の力士と口論になり、島田がこれを投げ飛ばしてしまいます。これが発端となり、大阪相撲の力士が仲間を集めて芹沢達の居た住吉楼に押し寄せました。その数50から60人と言います。芹沢以下の隊士は抜刀してこれに立ち向かい、力士側に死者3名、手傷14名という損害を与えました。この事件は、相撲側が武家に失礼を働いたと折れる事で決着し、その後は力士が隊士に道で出会うと、道端に寄ってあいさつをする様になったと永倉の手記にあります。

この事件のあと、野口健司の名が記録されている事件はありません。9月13日に新見錦が切腹し、18日には芹沢と平山が暗殺され水戸グループは事実上壊滅してしまうのですが、彼一人は生き残ります。彼は、暗殺のあった夜は、芹沢達とは別行動を取って角屋に残っていたため、難を逃れたと考えられます。このあたりも良く判らないところなのですが、一説には、芹沢達とは世代が異なることから、芹沢と一緒に居るよりも沖田や藤堂といった歳の近い隊士と行動を共にする事が多く、芹沢とは自然と距離を置く様になっていたのではないかと言われています。また、永倉との関係があって、芹沢とはだんだん離れていったと考えられなくもありません。

芹沢の死は、対外的には病死、隊内には長州藩の刺客に襲われたものとされていたため、永倉でさえ長く真相を知る事はありませんでした。野口も芹沢が近藤達に殺されたとは知らなかったと思われ、その後も脱走する事なく新選組に止まっています。その彼も、ついには切腹に追い込まれます。12月27日、前川邸の綾小路通りに面した一室でした。その理由は、当時の隊士にも良く判らなかった様です。八木源之丞は、「芹沢との関係で、何かつまらない理由で詰め腹を切らされたのではないか。」と推測しています。

一説として、近江中羽田村において起こった騒動の責任を取らされたのではないかと言われています。これは、水戸藩士が壬生浪士を名乗り、当地であった騒動に加わって扇動していたというもので、村人から新選組に対して訴えが出ていました。これについて、野口が切腹した12月27日の日付けで、近藤から中羽田村の庄屋代官宛に、(壬生浪士を名乗っていても当方は関与しないから)そちらで善処されたいという旨の文書が出されています。この騒動と野口がどう関係していたのかは判りませんが、日付が一致すること、当時水戸出身の隊士は野口しか居なかったことから何らかの係わりがあり、その責任を問われて詰腹を切らされたのではないかとされています。

表向きはそうでも、実際には水戸グループが隊内に居る事が好ましくなかったのではないでしょうか。特に会津藩にとっては、新選組が思想集団である事は望ましい事ではなく、意のままに動く警察組織として位置づけておきたかったでしょうから。芹沢の粛清は会津藩から指示が出ており、同時に芹沢の息のかかった隊士はすべて始末する様指示が出ていたのかもしれません。

野口健司の切腹した部屋の外観の写真は次のところにありますので、よろしければご覧になって下さい。

http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/維新の道_003.htm#bookmark1

この項は、子母澤寛「新選組始末記」、新人物往来社「新選組銘々伝」、木村幸比古「新選組日記」を参照しています。

|

« 新選組!12 | トップページ | 新選組!13 »

新選組」カテゴリの記事

コメント

はじめまして!
新選組!の感想、いつも楽しく拝見してます。
「マイナー隊士の紹介」おもしろいですね~。

野口健司の切腹は、「新選組!」でどういうふうに描かれるんでしょうね。
野口に限らず芹沢鴨暗殺もそうですが、今はまだ和気あいあいとした雰囲気なので、そういう暗い部分を三谷脚本はどう展開するのだろうかと注目してます。

投稿: abetomo | 2004.05.27 00:38

abetomoさん、コメントありがどうございます。
このドラマ、暗い部分はすべて芹沢に負いかぶせ
て近藤は汚れない様になっていますが、野口の切
腹の時には芹沢は居ません。どうするのでしょう
ね。やっぱり土方が汚れ役になっていくのかな。
でも、こんなに明るい野口は初めて見た様な気が
します。切腹させるが可哀想な気がする...。
こういう三谷流の演出というのは好感が持てます
ね。

投稿: なおくん | 2004.05.27 19:39

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新選組!12の2:

« 新選組!12 | トップページ | 新選組!13 »