新選組!11
新選組! 第19回「通夜の日に」、八木家の姑「久」の葬儀が行わ
れました。これを近藤達が取り仕切って名を上げた訳ですが、新選
組始末記では、近藤と芹沢の二人が帳場に座って、この二人が一
切を仕切ったとなっています。亡くなったのは八木家の子供で、暇な
時には、二人でいたずら書きをしていたとか。このとき芹沢は面白い
絵を描いたそうですが、どんな絵だったのか見たいですね。このエピ
ソードを出してくれないかと期待していたのですが、採用されず、残
念でした。
この久に気に入られたのが原田佐之助ですが、彼は非常な短気者
で、二言目には「斬れ、斬れ」と言ったとか。また、若い頃に、からか
われた事に逆上し、腹を切って危うい所を助かったという事があった
様です。そこから付いたあだ名が「死に損ねの佐之助」。ここまでは、
およそ久の死に涙するドラマの設定には程遠い印象ですが、彼はま
た妻子思いの優しい面を持っていました。町人の娘を嫁にし、産まれ
た息子を非常に可愛がった様です。後の鳥羽伏見の戦いのときには、
戦が始まる直前に200両の金を持って妻の元を訪れ、繰り返し繰り
返し子供の事を頼んでいったそうです。妻の名は「まさ」。そう、あの
甘党の店の「おまさ」ちゃんですね。この二人、これから仲良くなって
いくのでしょうね。
さて、マイナー隊士の紹介ですが、今回は島田魁。彼は、近藤、沖田
等に比べると知名度は低いですが、結構人気のある隊士で、マイナー
なんて言うとファンの方から叱られるかも知れませんね。
ドラマでは、「しまだかい」と言っていましたが、御子孫の方によると
「しまださきがけ」と読むのが正しいのだとか。美濃大垣の出で、ドラマ
にあったように何度も名前が変わっています。
まず親の名前が、近藤伊右衛門。1828年(文政11年)に次男として
産まれています。この父親が仕事上の過失で自刃するという事があり、
生母の実家に引き取られ、養子となります。この実家の名が川島。の
ち、京都に出て来て丹波屋定七の入り婿となりますが、さらに大垣藩
の島田歳に望まれてその養子となり、島田姓を名乗るようになります。
29歳のとき江戸に出て坪内主馬道場で心形刀流を学び、このとき永
倉新八と出会っています。腕前はかなりのもので、名古屋城で行われ
た御前試合で優秀な成績を収め、島田家の養子に望まれたのもその
腕を見込まれたからだとか。
彼は、新選組一の巨漢で、身長182cm、体重150kgもありました。そ
のため、よく相撲取りと間違えられたそうです。そのくせ、酒は一滴も飲
めず、大の甘党で、大福餅を一度に20~30個も食べたとか。
新選組では、調役並監察、二番隊伍長を勤めています。
最初の事件は、大阪相撲との乱闘で、このとき道をふさいで悪口を言っ
た相撲取りを最初に投げ飛ばしたのが彼だった様です。
池田屋騒動のときには、他の三人の監察とともに古高俊太郎の正体を
突き止めるという手柄を立てています。また、事件当日は土方隊に属し
ており、戦闘にも参戦し、報奨金として17両を交付されています。
このほか、三条制札事件、油小路の決闘など新選組の主要な事件にも
係っています。
鳥羽伏見の戦いでは、薩摩藩の陣地に斬り込みに行った永倉が味方の
陣地に引き上げて来る時、着ていた甲冑が重すぎて塀を乗り越える事
が出来ず、危うくなってしまいます。このとき、島田が塀の上から鉄砲を
差しだし、軽々と永倉を引き上げ、その怪力ぶりが評判になるというエピ
ソードを残しています。
その後は、甲州勝沼、流山、宇都宮、会津、函館と転戦し、その間「東照
大権現」と書いた旗を掲げ、激戦になるとそれを腹に巻いて戦いました。
彼は、五稜郭で降伏し、名古屋城に3年間預けられます。こうして彼は、
新選組の結成当初から函館で新選組が壊滅するまで在籍し、生き残った
唯一の隊士となりました。
明治6年、京都に戻り、隊士時代に知り合ったという西村サトと結婚します。
彼は、榎本武揚から新政府への出仕を誘われますがこれを断り、雑貨屋、
仏具屋を経てかつて屯所があった西本願寺の警備員となります。彼は、常
に土方歳三の戒名「歳進院誠山義豊大居士」と書いた書き付けを身に付け、
終生離さなかったそうです。1900年(明治33年)、72歳の時に西本願寺
の境内で息を引き取りました。彼の葬儀には、永倉も北海道から駆けつけ、
参列したそうです。
彼は、「英名録」、「島田魁日記」など新選組の記録を書き残しており、これら
は新選組を知るための貴重な資料となっています。
こうしてみると、気は優しくて力持ち、めっぽう腕は立つが、頑固なまでに義
理堅いという姿が浮かび上がってきます。彼が特に女性に人気が高いと言う
のも頷けますね。やっぱり、マイナーというのは失礼だったかな。
ドラマで彼を演じる照英さんは、こうしたイメージにぴったりですね。ただ、もう
少し太っていた方が良いかも知れません。ドラマでは道を間違えて迷子にな
りますが、監察としても有能だった彼にはちょっと合わない気もしますね。で
も、人なつっこいイメージを出すための演出だったという事なのかな。これから、
永倉とコンビを組んで活躍してくれそうですね。
この項は、子母澤寛「新選組始末記」、木村幸比古「新選組日記」、「別冊歴
史読本 新選組の謎」を参考にしています。
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