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2004.02.29

京都の散歩道 清水寺

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今日紹介するのは、清水寺です。

清水寺の位置



三年坂から清水道を上がると、清水寺の門前に至ります。この界隈は土産
物店がずらりと並び、いつも人混みで賑わう所ですが、活気があって結構好
きな場所です。土産物にも色々あって、店先をひやかしながら歩くのはなか
なか楽しいものがあります。

坂を上ってまず目に付くのが仁王門ですが、その左手に善光寺という小さな
お寺があります。そのお堂の右脇に祀られているのが、首振地蔵と呼ばれる
お地蔵様です。このお地蔵様、その名のとおり首が動くようになっていて、こ
の首を願いのある方向に向けて祈ると願いが叶うと言われています。もちろ
ん、恋愛成就でも構いませんので、地図と磁石を持参してお参りされてはい
かがでしょうか。

仁王門の前を今度は右に行くと、忠僕茶屋と舌切茶屋という2軒の茶店があ
ります。子供の頃、舌切茶屋は舌切り雀と関係があるのかなと思っていたの
ですが、全然違っていました。両方とも幕末史に関係していたのです。

幕末期、清水寺の成就院に月照上人という方が居られたのですが、勤王の
志厚く、薩摩の西郷隆盛など共に国事に奔走されます。ところが、井伊大老
の起こした安政の大獄の嵐が月照上人を襲います。上人は幕吏の手から逃
れるために西郷と共に鹿児島へ落ち伸びますが、遂に逃れきれずに、錦江
湾へ身を投げてしまわれます。このとき、下僕として上人に最後まで付き従っ
ていたのが重助で、彼は捉えられ、牢に入れられてしまいます。この重助が
許されて牢から出て来た後、西郷と清水寺の援助で開いたのが忠僕茶屋で
す。

一方、幕吏の手は、月照の行方を求めて清水寺の寺男近藤正慎にまで及び
ます。しかし、近藤は厳しい責め苦にも関わらず、頑として口を割ることはなく、
最後は頭を壁に打ち付け、舌をかみ切って自ら命を絶ち、秘密を守り通しまし
た。清水寺では、近藤に免じてその子孫に茶屋を開く事を許し、今に至ってい
るのが舌切茶屋です。

この茶屋から音羽の滝の方へ歩いて行くと、舞台の下にアテルイ・モレの碑
があります。清水寺の基を築いた坂ノ上田村麻呂が東北へ遠征したとき、最
後まで抵抗した蝦夷の長と副長がアテルイとモレで、田村麻呂の人柄に惹か
れて帰順してきます。田村麻呂は、二人の助命を朝廷に嘆願しますが、その
甲斐なく枚方牧野の地で処刑されてしまいます。この碑は、建都1200年を記
念して、アテルイの故地水沢市や地元の有志によって建てられたもので、両
雄の冥福と恒久の平和を祈るためのものです。

清水寺では、3月12日からの京都花灯路の期間に合わせて夜間拝観が実
施されます。また、3月15日から3日間、青龍会が催されます。早春の京都
の散策がてら、清水寺まで足を伸ばされてはいかがでしょうか。

清水寺紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_013.htm

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