京都の散歩道 おみくじの開祖
今日から暫くの間、「恋する京都」にちなんで、京都の話題にお付き合い下さい。
わが家のホームページ「京都の散歩道」で洛東の道を紹介しているのですが、
その中で紹介しきれていないところがいくつかあります。ここでは、そうしたポイト
を中心に、紹介していきたいと思います。
今日は、粟田口 尊勝院。おみくじの開祖のお話です。
平安神宮から青連院へ向かっていく時に、三条通を渡ってすぐに小さな交差点
があります。ホームページでは、ここを右へ折れ、白川へ向かう道を紹介したの
ですが、今回は左に折れてみる事にします。
左に折れて暫く歩くと、「元三大師」と書いた大きな石碑が見えてきます。最初
この石碑を見たとき思わず「大三元」と読んでしまったのですが、何とも失礼な
話で、元三大師とは、比叡山第十八代座主であった良源上人の事です。叡山
中興の祖と言われ、また数々の伝説に彩られた方で、降魔大師、角大師、豆
大師などの異名を持たれています。尊勝院は、この元三大師を本尊とする寺で、
比叡山千日回峰の行者が修行の報告に来る寺でもあり、その時に白川を渡る
橋が行者橋です。
これだけだと何やら遠い昔の偉い人という感じですが、おみくじを始めた方だと
聞くと、何か急に身近に感じませんか。
おみくじは、元三大師が観音菩薩に祈念して偈文を授かった観音籤が起源と言
われています。何だか難しそうですが、要するに観音様に聞いた人生の処方箋
というくらいの意味だそうです。これを元に今のおみくじの形にしたのは、江戸時
代の天海大僧正のようですね。ある日、夢枕に元三大師が立たれて、信州戸隠
にある観音籤を世に広めよとお告げがあり、調べてみると実際に偈文百枚があっ
たそうです。僧正は、この百枚を元に、一から百までの数字を付けた棒を穴を空
けた箱に入れて願いを込めて振り、出て来た数字の籤をもって吉凶を占うという、
今のおみくじの原型を作り上げました。
また、この尊勝院は、「みざる、きかざる、いわざる」の三猿の像があり、京都三
庚申の一つにかぞえられています。この像は、元は白川橋の南にあった金蔵寺
にあったそうですが、この寺が廃寺になったため、尊勝院に移されました。
このあたりは、観光コースからは外れており、休日でも静かな所です。穴場の一
つとして訪れてみるのも面白いところだと思います。
尊勝院紹介ページ
http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/京都の散歩道_002.htm
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