2018.12.16

西郷どん 最終回 「敬天愛人」

明治37年、京都。
敬天愛人の額を見つめながら、父隆盛を回想する菊次郎。

時代から取り残された侍達を、抱きしめ、飲み込み、連れ去ったのだと菊次郎。

明治10年8月27日、延岡。
傷ついた者たちを残し、鹿児島へと向かった隆盛達。

一日西郷に接すれば一日の愛が生じ、三日接すれば三日の愛が生じる、
親愛の情は日々つのりもはや去る事は出来ない、
ただただ生死を共にしたいのです、最後まで隆盛に従った者の言葉でした。

険しい山道を越えていく隆盛たち。

延岡。
糸たちを尋問する山県。
そこに現れた従道。
遅れた事を謝る従道に、政府軍の偉い方が頭を下げるんではなかと、
冷たく言い放つ糸。

そこに隆盛一行が見つかったという知らせ。
鹿児島だと従道。

450キロを踏破し、鹿児島に帰り着いた隆盛達。

城下を占拠した新政府軍を見て、
もう一暴れと切り込んだ隆盛達。

一度は敵陣を占拠したものの、大軍に押し戻された隆盛達。

東京、大久保邸。
博覧会など捨てて鹿児島へ行ったらどうかと満寿。
口が過ぎると大久保。

従道に連れられて鹿児島に帰った糸たち。

この戦を止めさせてと琴。
無理だと従道。
兄を討つと言うのか、ならば二度と薩摩の地を踏むなと琴。
黙って出て行く従道。

城山。
夜、風琴を弾く新八。
もっと賑やかなやつがよかと隆盛。
それならばとラ・マルセイエーズを弾く新八。
賑やかに盛り上がる一同。

生き残った者、372人。

太政官。
隆盛から託された鹿児島の地図を見ながら、
回想にふける大久保。

鹿児島、政府軍本営。
総攻撃を迫る部下に、
心から隆盛が俗に成り下がったと思っている者は居るのかと山県。
使者を送りましょう、西郷先生以下隊長連中の自裁、
それを降伏の条件とすると川路。
そこに届いた大久保からの電信。

大久保の命は明朝4時、総攻撃を下す、
ただし、夕刻五時までに降伏すれば隆盛の命は助けるというものでした。
一蔵どんは甘いと微笑みながら、こんな情けは受けられんと隆盛。
先生だけは生きてくれ、そうすればいつかまた誰かが立ち上がると一同。

東京、上野。
博覧会会場で外国人要人を案内する大久保。
戦争中に博覧会などしていて良いのかと外国人。
心配ご無用、日本国から戦そのものがなくなりますと大久保。

城山。
この国から戦をなくすためにも死なねばならない、
自分が死ねば士族たちも新しい生き方を探し始めるだろう、
日本国のためにも自分は死なねばならんのだと隆盛。

東京。
隆盛が降伏しなかった事を知らされた大久保。

演説の最中、声を詰まらせる大久保。

城山。
百姓や町民の軍も強かった、これなら外国とも戦えると隆盛。
ここは最高の死に場所だと桐野。
笑いの絶えない一同。

短刀を前に、斉彬の予言した時代が来るとつぶやく隆盛。

翌朝、総攻撃の時間。
一同に向かって、おはんらが侍の最後を務めるんじゃ、
日本の誇りじゃと微笑む隆盛。

開始された攻撃。
隆盛を先頭に山を駆け下る一同。

西郷家。
遠くに響く砲声を聞きながらじっと耐えている糸たち。

次々に倒れる西郷軍。

磯の別邸で砲声を聞いている久光。

荒れ狂う桐野。
川路の銃弾に倒れた桐野。

血みどろになって倒れた新八。

鹿児島、本営。
結果を見ること無く、東京へ戻る従道。

ついに撃たれた隆盛。

同時刻、おやとさあでございもしたと城山に向かって頭を下げる糸。
そこに戻って来たツンとゴジャ。

東京、大久保邸。
吉之助さあと泣き叫ぶ大久保。

京都市役所。
父は天を敬い、身を捨てても人を愛しましたと菊次郎。

慶喜邸。
隆盛の死を知り、なぜ自分の様に逃げなかった、牛男と慶喜。

最接近した火星を見上げ、あれは西郷さんだと長屋の人々。
とうとう星になってしまったか、西郷どんと海舟。

奄美大島。
火星を見上げながら島唄を歌う愛可奈。

隆盛のために建てた豪邸で、泣きながら鰻を食べる従道。

西郷家。
義足を付けて自力で歩ける様になった菊次郎。

一同を前に隆盛の最後の言葉を伝える糸。

自分が死んだことで、
おかしい事をおかしいと言えなくなるとは思わないでほしい、
これからの国作りはおはんらにたくされちょ、
逆賊西郷隆盛の子であることを恥じることはありもはんと糸。

父は西郷星としてあがめられていると子達。
それはちがう、旦那様は人にあがめられて喜ぶ人ではない、
いつも低いところで弱い者に寄り添ってあちこち走り回っていた、
誰よりも心の熱く、ふとか人でしたと糸。

翌年。
参内途中の馬車の中で隆盛の地図を見る大久保。
そこに襲ってきた刺客達。
おいはまだ死ねぬとつぶやき、
かつて隆盛が迎えに来た時を思い出しながら息を引き取った大久保。

城山。
仰向けに倒れ、青空を見上げながらもうここらでよかとつぶやいて逝った隆盛。
その身体の向こうにそびえる桜島。

「最終回は西南戦争の終結と隆盛の死、そして大久保の死までが描かれました。壮大なドラマがようやく終わったというのが今の感想です。」

「隆盛の最後の言葉が「もうここらでよか」というのは良く知られた逸話ですが、その最期は切腹ではなく、別府晋介によって介錯されたとも、桐野利秋によって射殺されたとも言われます。いずれにしてもその首が発見されている事から、誰かが首を刎ねた事は確かなのでしょう。」

「敬天愛人を座右の銘とした稀代の英雄の死に様としては、一人で静かに迎えたドラマの描き方はいささか寂しいものがありましたが、このドラマらしい演出だったとも思います。壮絶な死に方はこの主人公には似合わないともいえるでしょうか。」

「西郷の人気がその死の直後から高かったのは確かで、赤く輝く火星を庶民が西郷星と呼んで崇めたというのは事実です。しかし、政府に弓を引いた賊臣であった事もまた事実で、公然とは西郷を褒め称える事は許されませんでした。その名誉が回復されるのは明治22年の事で、明治憲法発布の際に行われた大赦によって正三位が追贈され、賊臣から功臣へと返り咲きました。この裏には、脈々と流れ続けていた西郷人気があったためと言われます。」

「西郷はその後、時代の変化によって様々に扱われる様になります。時には忠君愛国の理想像として、また時には大陸進出の際の先駆者として、そして戦後は敬天愛人の言葉どおり平和を愛した人として称えられてきました。このドラマはそのどれでもなく、生身の西郷を描こうとした様に思えます。すなわち、時に土臭く、時に時勢に疎く、時に優しく、時に非情であるという多面な顔を見せてくれました。」

「西郷は常に微笑みを絶やさない人だったと言われますが、最終回では特に微笑みが印象的でした。西郷に一日接すれば一日の愛が生じ、三日会えば三日の愛が生じる、ついには生死を共にするしか無くなると言ったのは豊前から西郷軍に参戦した人だったのですが、生粋の薩摩人でなくてもそうなってしまう、それだけ人を引きつける魅力を備えた人だったのでしょう。生身の西郷さんに一度会ってみたいのは私だけではないでしょうね。」

「無論、ドラマでも描かれた様に完全無欠な人ではなく、欠点も多くありました。人の好き嫌いが激しく、平和志向どころか戦争好きだったとも言われます。西南戦争はその欠点が現れた最たるもので、なぜ大久保の真意を質すためだけに、1万5千もの大軍を引き連れていく必要があったのでしょう。それで戦争をする気はなかったと言っても通る話ではなく、西南戦争で亡くなった数多の犠牲者は、いわば西郷の私情のために死んでいった様なものです。このあたりが未だに西郷隆盛という人物を理解出来ないところです。」

「ドラマでは自分が死ねば日本から戦が無くなると言っていましたが、もしそれが真意だったとすればごく少数の側近だけを連れて東京に行けば良い話で、大軍など必要なかったはずです。西郷の思い上がりだったのか何だったのか、真の理由はともかく、西南戦争によって薩摩のそして日本の多くの有意の人材を失いました。西郷が別の道を選んでいたら、明治日本はまた違った国になっていたのかも知れません。」

「最後に、一年を通して西郷隆盛という人を追い続けて得た結論は、良くも悪くも不思議な魅力に富んだ人、それが今の私の西郷観です。全体像というのはとても計りきる事が出来そうにもありませんね。とてつもなく大きな人だった事だけは確かです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著


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2018.12.15

京都・洛中 京都紅葉事情2018 ~北野天満宮 12.8~

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今年の紅葉巡りも今回でおしまい、掉尾を飾るのは北野天満宮です。

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北野天満宮のもみじ苑の公開は、当初は12月2日までの予定だったのですが、紅葉が思ったほど進まなかったのか途中から9日まで延長されました。私が訪れたのは最終日の前日だった事になりますが、まずまずの見頃でした。

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ここはライトアップも行われるのですが、日中の拝観は午後四時でいったん打ち切られる様です。その後日没と共に再開され、午後八時までの公開という変則的な入場方式が取られています。それを利用して四時過ぎまで粘って撮ったのこの写真。この鶯橋は人気の場所で、常に橋の上に人が居るのですよ。そこで四時を回るまで待って、誰も来なくなったところを狙って撮ってきました。

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色合いはオレンジ色であまり良いとは言えないですね。でも、ここは毎年大体こんなもの、御土居の上には赤く色付いたもみじもあります。赤いもみじと本殿とのからみを狙うなら、もう少し早く来るべきだったのかも知れませんね。

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今年は夏の異常な暑さや9月の台風など、紅葉にとってはあまり良くない年かと思われていました。でも、終わってみればそれなりに悪くない年でした。最高とまでは言えませんけど、まずまず綺麗な紅葉を楽しませて頂きました。紅葉は何が幸いして何が災いするのかは良く判りませんね。来年は平穏に秋を迎え、また美しい紅葉に出会えたらと願っているところです。

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2018.12.14

京都・洛中 京都紅葉事情2018 ~御霊神社 12.8~

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相国寺から北へ移動して御霊神社へやって来ました。ここでは紅葉がまさに見頃となっていました。

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ここはこれだけ綺麗な紅葉があると言うのに、誰も見に来る人が居ないのが不思議という穴場スポットです。さっきまで居た糺の森とは大違い、誰にも邪魔されずに静かに紅葉を楽しむ事が出来ました。

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まあ、境内は広いとは言えず、もみじの数も少ないですけどね、紅葉は毎年裏切られる事が無いほど綺麗です。

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もう少し早い時期なら、本殿裏にあるもみじの紅葉が綺麗です。同じ場所にあるのになぜか紅葉する時期がずれるのですよね。日の当たり方が微妙に違うのかな。

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こちらは11月24日に撮影した銀杏の絨毯です。七五三で訪れた小さな子供たちが、大喜びではしゃいでいたっけ。この時、本殿裏のもみじも見頃を迎えようとしているところでした。狭いながらも色々と楽しめる、それが晩秋の御霊神社です。

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2018.12.13

京都・洛中 京都紅葉事情2018 ~相国寺 12.8~

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下鴨神社から相国寺へとやって来ました。ここは数日来るのが遅かった様ですね。

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主要なもみじは葉をほとんど落とし、名残の紅葉となっていました。雨が降る前だったらもう少し見栄えがしただろうにな。

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その代わり敷紅葉はきれいでしたよ。いつも見事な紅葉を見せてくれるもみじが台風で枝が折れ、満足な紅葉が見られなかったのを補って余りある光景でした。

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名残の紅葉も探せばまだ残っており、この木などはまさに見頃でした。黄葉するもみじというのもまた綺麗なものですね。

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早くも西に傾いた日を受け、逆光に輝くもみじもありました。全体としては寂しかったけれど、晩秋の風情は確かに感じる事は出来ました。

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2018.12.12

京都・洛北 京都紅葉事情2018 ~下鴨神社 12.8~

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京都で最も紅葉が遅い下鴨神社です。この日も見頃を迎えたもみじが待っていてくれました。

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ただ、今年は少し紅葉するのが早かった様ですね。この木などははすでに散り始めており、青空が透けて見えていました。

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空がよく見えたのは、台風の被害の影響もあったでしょうね。沢山の高木が倒れ、また枝が折れてしまって見通しが随分と良くなっていました。この傷が癒えるまでに何年掛かるのでしょうか。

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でもそうした被害があったにも関わらず、紅葉は綺麗なものでした。この森特有の高木と背の低いもみじとの競演は今年も健在でした。

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それにしても下鴨神社の参拝者は随分と増えましたね。紅葉見物の人も多かったでしょうけど、純粋に参拝に来た人も相当数居た様です。結婚式も何組か行われていましたしね。そして今週末は糺の森で森の手作り市が開かれます。またさらに多くの人で賑わうことでしょうね。

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2018.12.11

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~真如堂 12.8~

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東寺から一気に飛んで真如堂へとやって来ました。ここも紅葉の盛りはとうに過ぎ、わずかに残った名残の紅葉と何より敷紅葉が綺麗でした。

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山門前のこのもみじは、毎年最後に紅葉します。日当たりが悪い訳でもないのに不思議な気がしますが、赤い門と相まってとても綺麗ですよ。

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本堂裏はまだ見頃を保っているかと思っていたのですが、ほとんど散っていました。ここも一週間ほど来るのが遅かったかな。

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その代わり見事な敷紅葉が見られたのは収穫でした。これも前々日に降った雨で散ったのでしょうかね。これだけ見事な敷紅葉はなかなか見る事は出来ません。

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この敷紅葉も間もなく掃除されて無くなってしまう事でしょう。華やかだった紅葉の季節も終わりを告げ、いつもの静かな真如堂が戻ってきます。冬枯れの境内をゆっくり散策し、椿や水仙の花を探して歩くのもまた良いものですよ。

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2018.12.10

京都・洛南 京都紅葉事情2018 ~東寺 12.8~

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平成30年12月8日の東寺です。ここは昨年の「そうだ京都、行こう」のキャンペーン対象になっていたのですが、混雑を避けるため1年遅れで訪れてみたのです。

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結論から言うと1週間ほど遅かった様ですね。主要なもみじはほとんど散り果てになっており、わずかな名残のもみじだけが残っていました。

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それとこの2日前に降った雨で残っていた葉も散ってしまったのでしょう。盛りの紅葉はまた来年まで持ち越しです。

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この日も朝から多くの拝観者が訪れていましたが、紅葉目当ての人はほとんど居ませんでした。五重塔の初層の公開や講堂の特別拝観のために来た人が多かった様です。

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講堂の特別拝観は普段は入れない仏像群の裏側を歩けるという趣向で、諸仏の後ろ姿というのは興味深かったです。まさに立体曼荼羅の面目躍如といったところですね。この特別拝観は昨日までで終わりましたが、来年はどんな趣向を見せてくれるのでしょうか。紅葉と共に楽しみです。

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2018.12.09

西郷どん 第四十六回 「西南戦争」

太政官。
西郷討伐の詔をと願い出た大久保。

明治10年2月18日、川尻。
炎上した熊本城天守と熊本城下。

二日後深夜、夜襲を受けた西郷軍。
捕らえた鎮台兵から西郷軍は賊軍となったと聞いた隆盛たち。

いきり立つ一同に、戦う決意を示した西郷。
西南戦争の勃発。

政府軍八千の南下の知らせ。
吉次峠と田原坂を守ると決めた西郷軍。
おいの身体はおはんらにあずけたでと隆盛。

田原坂。
震える菊次郎。
開始された戦闘。

太政官。
続々と集まる西郷軍への援軍にうろたえる三条たち。

西郷軍の切り込み隊に対抗するため、
警視抜刀隊を編成し、現地に向かった川路。

激闘の続く田原坂。
主として薩摩士族で編成された抜刀隊と戦う西郷軍。
同士討ちとなった薩摩士族たち。

ついに田原坂を突破された西郷軍。

東京、従道家。
自分が行って兄を止めると従道。
それでは兄弟で戦う事になると清。
自分も兄と一緒に戦いたいと従道。
それだけは止めてくれと清。

九州。
足を打たれた菊次郎。
銃弾に倒れた小兵衛。

野戦病院を訪れ、死んだ小兵衛に涙する隆盛。

鹿児島。
隆盛を止めるべく久光の下に訪れた勅使。
道理の通らぬ事は出来ぬと断った久光。

人吉へと逃れた西郷軍。
傷つき、殺してくれと頼む菊次郎を背負って歩く隆盛。

京都。
死の床で、西郷君、ええかげんにせんかと言い、
この世を去った木戸。

東京。
投獄されている大山。

大久保に会い、何があった、友だったろうがと問い詰める大山。
隆盛は友である前に大罪人、
隆盛が生きている限り不平士族は収まらないと大久保。
話を逸らすな、お前の中で何があったのかが知りたいと大山。
これを日本で最後の戦にする、そのために西郷とその一派を滅ぼす、
それが政府の出した答えだと大久保。
それは政府ではなく、おはんが出した答えじゃろがと大山。
おいが政府じゃと大久保。
これでお別れか、先に行って有馬と待っている、
お前だけ極楽に行こうとしてもずりーと足をひっぱてやると大山。

鹿児島、西郷家。
従道のはからいで、一家を保護に来た政府軍。
私たちは西郷隆盛の家族、敵の助けは受けないと追い返した糸。

武器、食料を集めに戻った久武。
久武から小兵衛が死に、菊次郎が撃たれた事を聞いた糸。
自分を菊次郎のところに連れて行って欲しいと糸。

延岡、野戦病院。
足を切断された菊次郎。

3500まで激減し、俵野まで追い詰められた西郷軍。

軍の解散を宣言した隆盛。

その夜、軍服を燃やした隆盛。
そこに現れた糸。

父と共に戦うという菊次郎に投稿しろと命じた隆盛。

糸と最後の夜を過ごした隆盛。
旦那様が西郷吉之助でなく、ただの人だったらどんなに良かったかと糸。
糸を抱きしめる西郷。

「今回は西南戦争が描かれました。この戦争がまさか一回で描かれるとは思っていなかったのですが、戦いの詳細を描いてもドラマの主題には沿わないという意向だったのでしょうか。」

「前回も書きましたが、西郷軍の一番の過ちは、戦争の大義名分を持たない事でした。政府に尋問の筋これありとは言っていましたが、突き詰めれば隆盛を暗殺しようとした大久保への私憤であり、政府を相手に戦う理由としてはあまりにも脆弱でした。この批判は開戦当時からあり、隆盛に同調しようとしていた土佐の板垣は、隆盛は私情に流された愚か者であり、不平士族を代表しようとした江藤や前原たちよりも数等劣ると攻撃しています。また、木戸はこの戦いは全く無意味で、隆盛と大久保、川路、桐野たちを一同に会わせればそれで済む話ではないかと日記に記しています。彼が死ぬ間際にうわごとで、西郷、いい加減にせいと言った事は有名で、隆盛の私憤のために多くの人命が失われていく事が許せなかったのでしょう。」

「もし、隆盛が真に人民の為に立ち上がったと宣言していれば、歴史は変わったかも知れません。それが良かったかどうかは判りませんが、少なくとも西郷軍の一方的な惨敗という結果にはならなかったと思われます。その事を一番良く知っていたはずの隆盛がなぜ無謀な挙兵を行ったかについては、今もって謎とされます。」

「一説には隆盛は自分の名声に自信を持っており、自分が立つというただそれだけの事で全国から不平士族が立ち上がり、新政府などたち行かなくなると思っていたとも言われます。だとすればとんでもない思い上がりだったと言わなければならないでしょうね。」

「また一説には、私学校生徒たちの暴発を抑えきれず、彼らに俗名を着せないために自らの命を投げ出したのだとも言われます。しかし、その後の隆盛の言動から見ると、最初から甘い見通しと戦略とも言えない拙い軍略で動き出したという批判は免れそうにもありません。幕末の頃の策士とも言うべき変幻自在さから見ると、別人としか思えないところがやはり謎ですね。」

「謎と言えば、戦いにおいても隆盛は自ら戦闘を指揮する事はせず、もっぱら後方に居て兎狩りや揮毫に明け暮れていたと言います。部下を信頼していたと言えばそれまでですが、鳥羽伏見の戦いでは周囲が止めるのも聞かずに前線に飛び出して行った同じ人物とは思えません。」

「唯一陣頭指揮を執ったのは敗戦の色も濃厚となった8月15日の事で、弾雨が降り注ぐ中で立ち続けていたと言われます。この時はもはや前途に希望は無く、ここが死に場所と決めていたのかも知れませんね。しかし、結局は生き続け、なおも逃避行を続ける事となります。」

「この様に不可解な事だらけの西南戦争における隆盛なのですが、ドラマではどう決着をつけるのでしょうね。次回はいよいよ最終回、どんな主題を持ってくるのか楽しみに待ちたいと思います。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

   

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2018.12.08

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~円山公園 12.1~

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東山の紅葉散歩、最後は円山公園です。ここは少し遅かったかなと思っていたのですが、丁度見頃を迎えたところでした。

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ここは何しろ広いですから、公園の入り口から奥まであちこちで紅葉を見る事が出来ます。そのぶん、進行具合もまちまちでしたが、全体としてはほぼピークに近いように見受けられました。

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この木などは真っ盛りですね。普段は気がつかないもみじも、こんな具合に色づくとそこにあったんだなと改めて気づかされる事になります。

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ところで、円山公園もまた台風の被害とは無縁ではありませんでした。道ばたに樹齢100年を超えようかという大木が倒れたまま放置されていたのには驚かされましたね。さすがに道を塞がないように半分に切られていましたが、倒れた直後はすさまじい光景だったことでしょう。

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もう一つ驚いたのはイノシシ注意の看板があった事で、とうとうこの公園までイノシシの縄張りに入ったのかとびっくりさせられました。一体、今の山の中はどうなっているのでしょうね。そのうち、東山産のぼたん鍋が京都の新名物になったりして。公園を歩くのにも獣に注意しなければならないとは、物騒な世の中になったものです。

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2018.12.07

京都・洛東 京都紅葉事情2018 ~圓徳院 12.1~

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高台寺から台所坂を下りて圓徳院にやって来ました。ここも紅葉は見頃を迎えていました。

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圓徳院は高台寺の塔頭寺院、北政所の終の棲家として知られます。その前身は伏見城の北政所の化粧御殿だったと伝わります。

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この日は南庭の紅葉も見頃を迎えていました。この庭がこれほど紅葉しているのを見たのは初めてかも知れません。

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そして本命の北庭です。昨年よりおよそ一週間遅く来たのですが、まさに見頃旬、タイミングはぴったりでした。

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この日、すでに風が吹くとはらはらと葉が散っていたので、今頃は散り紅葉となっているのかな。ライトアップは明後日まで、わずかに残った紅葉と敷紅葉がそれなりの美しさを見せてくれるかも知れませんよ。

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