2018.10.15

京都・洛東 仲秋の境内2018 ~黒谷 10.13~

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10月も半ばに入り、一気に秋めいてきました。台風だの秋雨だのに振り回されているうちに、いつの間にか季節が進んでいたのですね。

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暦の上では既に晩秋と呼ぶべき時期に来ているのですが、気分としてはまだ秋が深まり始めたばかりです。なので、ここではあえて仲秋という副題を使いました。晩秋と呼ぶには11月に入らないと気分が出ないですよね。

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ここ黒谷で秋の深まりを感じたのは、すっかり穂を出したススキと色づき始めた梅の木です。ついこの間梅の花を愛でたと思ったのにもう落葉とは、時間が経つのは早いですね。なんて感じるのは年を取ったせいかしらん。

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四年前に植えられた三代目の熊谷直実鎧掛けの松も、だんだんと貫禄が付いてきました。まだまだ先代の美しさには及びませんけどね、素性の良さは感じさせます。あと10年もすればそれなりの姿になるのかな。途中で病害虫にやられないようにと願うばかりです。

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2018.10.14

西郷どん 第三十八回 「傷だらけの維新」

大村益次郎の指揮により、半日で壊滅した彰義隊。
しかし、更に抵抗の度合いを増した東北越諸藩。

京。
兵も金も無い新政府。
全てを薩摩で引き受けた西郷。

鹿児島。
援軍を集めるため帰郷した西郷。
久方ぶりの団らん。

菊次郎に書物を送る糸。

久光を説得し、増援軍を編成し越後に派遣した西郷。
その様子を見ていた吉二郎。

早朝、刀を持って家を出ようとする吉二郎。
それを見とがめ、止めた信吾。

戦に出たいと西郷に直談判をした吉二郎。
その熱意にほだされた西郷。

越後に出立した吉二郎たち。

数日後、ガトリング砲を有する長岡藩に苦戦をしているとの報告を受け、
自ら出陣した西郷。

越後に着いた西郷の下にもたらされる数々の援軍要請。
そんな中届いた、吉二郎が撃たれたという知らせ。
しかし、兵の命は皆同じと軍議を続ける西郷。

1500人の死傷者を出し、新政府軍の勝利で終わった北越戦争。

傷病兵を見舞う西郷。
侍働きが出来て嬉しかったと言い、西郷の腕の中で亡くなった吉二郎。

その後も函館まで戦い続けた新政府軍。

明治へと生まれ変わった日本。

明治元年10月、東京城に入った明治天皇。

東京城の一室。
二人で話し合う西郷と一蔵。

突然、全て終わった、薩摩に帰りたいと言い出した西郷。
これから全てが始まるのだ、
新しい国を作ろうと言い出したのはおはんだと一蔵。
そのために全てを壊した、多くの者を死なせた
その責めを負わねばならんと西郷。
それが新しい国を作るという事じゃろがと一蔵。
すまん、一蔵どんと西郷。
勝手な事を言うな、共に新しい国を作るために戦って来たんじゃと一蔵。
腰から小さな袋を取り、一蔵の前に置き、
世界に負けん国を作ってくいやいと言い残し、立ち去る西郷。
袋の中にあったのは、かつて見た鹿児島と書かれた地図でした。
後に残され、乾いた笑い声を上げる一蔵。

鹿児島。
吉二郎の妻、園に遺髪を渡す西郷。
泣き崩れる園。

吉二郎が西郷のためにと残していった銭を渡す糸。

西郷家の出納帳を見て、一人泣く西郷。

その夜、剃髪した西郷。

「今回は戊辰戦争の終結から西郷の退隠までが描かれました。心を鬼にして戦う西郷と、弟を亡くし泣き崩れる生身の西郷の対比が鮮やかな回でした。」

「彰義隊を壊滅させた後西郷は鹿児島へと帰りますが、それは増援要請と共に、自らの療養のためでもありました。体調を崩していたらしい西郷は帰郷後すぐに日当山温泉に湯治に向かい、新政府軍が戦っている最中、50日も鹿児島に止まっています。」

「長岡で激戦があったのは事実で、河合継之助率いる長岡藩は寡兵ながら良く戦い、新政府軍を苦しめたのでした。しかし、西郷の援軍が到着した時には大勢は決しており、西郷自身の出番はありませんでした。」

「吉二郎がこの戦場で倒れたのも事実ですが、西郷が看取ったというのは記録になく、ドラマの演出でしょう。でも、流れ的には許される範囲かなとも思いますね。」

「その後の西郷は陣頭指揮を執る事はなく、北陸道征討総督府の働きによって東北諸藩は降伏に追い込まれました。西郷は米沢を経て庄内へと入ります。ドラマではスルーされてしまいましたが、ここで庄内藩に対して取った寛大な処置が後の西郷像を決定的なものとしました。すなわち、賊軍に対しても降伏して来たものはこれを許し、対等以上に扱う度量の大きな徳を持った人物という評価が定着したのです。西郷の座右の銘として知られる敬天愛人という言葉を世に広めたのも庄内の人たちでした。」

「西郷はその後、新政府の要請を無視して鹿児島へと帰ってしまいます。その理由は良く判っていないのですが、鳥羽伏見の戦いの直後に家族に宛てた手紙には、戦が終わった後には隠居すると認められており、早くから退隠する心づもりであった事は確かです。」

「ドラマでは吉二郎の死を悲しんだ西郷が剃髪したかの様に描かれていましたが、実際には越後に発つ前に既に髪を切っていた様です。これは藩主に無断で隠居する事を意味し、後に久光の怒りを買う原因の一つともなるのですが、ドラマではどこまで重みを置くのでしょうね。」

「鹿児島に帰った西郷は再び日当山温泉で湯治を行っており、体調の悪さが退隠を願った理由の一つだったのでしょう。吉二郎を死なせた事も引き籠もる気持ちを更に強くさせたのかも知れません。いずれにしても西郷は静かな余生を願っていた様ですが、彼を覆っていた名声がそれを許しませんでした。西郷はこれからも激動の時代に翻弄されながら生きていく事となります。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.10.13

京都・洛東 10月の京都 ~秋は夕暮れ 八坂の塔~

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10月も半ばを過ぎると日暮れ時も早くなり、秋の日は釣瓶落としという言葉が実感される様になります。京都散策をしていても、昼を過ぎると夕方までの時間が短く感じられ、もうこんな時間かと焦らされる事もしばしばです。そんな時に行きたくなるのが高台寺の駐車場。ここから眺める夕景が素晴らしいのですよね。夕景の良い場所をあちこち探してはいるのですが、ここ以上の場所は今のところ見つけられていません。

中でも夕焼けを背景にした八坂の塔のシルエットは格別、京都を象徴的する景色の一つと言えるでしょうね。ただ、週一回しか京都に行けない身とあっては、なかなか綺麗な夕景に出会えないのが残念なところ。今年は絶好のタイミングで訪れられると良いのだけどな。

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2018.10.12

京都・洛中 10月の京都 ~リンドウ・廬山寺~

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秋の山野草として人気の高い花がリンドウです。でも、京都で見られる場所は意外と少なく、曼殊院や蓮華寺など数カ所に限られます。中でも比較的見応えがあるのが廬山寺ですね。

桔梗で知られる廬山寺の源氏庭ですが、10月も半ばとなると桔梗は刈り取られ、代わってリンドウが咲き始めます。桔梗の様に庭一面に咲く訳ではないのですが、比較的縁側に近い位置にあり、また背丈も高いので目に付きやすいです。

桔梗もそうですが、リンドウは野の花なのに意外とこの作り込まれた庭に似合い、調和しているのが良いですね。リンドウ目当てで来る人は少ないでしょうけど、今の時期にこの寺を訪れられる事があったら、ぜひ注目して行って下さい。リンドウの青い色が苔の緑や白砂に良く映えて、とても綺麗ですよ。


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2018.10.11

京都・洛北 10月の京都 ~秋バラ 京都府立植物園~

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10月は秋に咲く花の旬の時期でもあります。中でも美しいのが秋バラ。秋バラは春バラに比べると全体の豪華さでは劣りますが、花一つ一つの美しさでは春に勝ると言われます。京都府立植物園のバラ園は種類が多いので、秋に見頃となるバラもまた多いという理屈になりますね。晴れた日には、秋空にそびえる比叡山を背景にしたバラを楽しむ事が出来ますよ。

時期的には10月中旬から11月初旬くらいまで。まさにこれからですね。また10月19日から21日までの間は、植物園会館で秋のバラ展も開催されます。21日にはバラの栽培講習会もありまのすで、これから育てたいという方にはお勧めです。

ただ、今の植物園は台風21号の影響で立ち入り禁止区域が広く、三分の一近くが封鎖されています。普段の平穏な植物園とは様子が違っている様ですね。自然の驚異はもうあちこちで十分に見ているので、早く元通りの穏やかな植物園に戻って欲しいものです。

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2018.10.10

京都・洛北 10月の京都 ~北山ハロウィン~

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ここ数年の間にすっかり国民的行事となった観のあるハロウィンですが、ブームとなるはるか以前から続いているハロウィン行事が京都にあります。それが北山ハロウィン。今年で21回目を迎えるという老舗です。

最初はかぼちゃ18個から始まった北山ハロウィンは年々規模を拡大しながら続けられ、今では参加者が2万人を超えるという一大イベントに成長しています。イベントの内容はかぼちゃのカービングや仮装パレード、仮装パーティーなど。主役はやはり子供たちとなりますので、参加者のほとんどは子育て世代の親子かな。

若者たちが大騒ぎをする流行のスタイルとは少し違いますが、その分子連れでも安心して参加出来るイベントです。もっとも、子供の仮装にはお母さん方の方が熱心な気もしますけどね。

今年は10月27日と28日に行われます。詳しくはホームページでご確認下さい。

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2018.10.09

京都・洛中 10月の京都 ~時代祭~

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せっかくの好天に恵まれたのに、体調不良のため連休中は外出ならず。仕方が無いので、今週は過去に撮った写真からの構成となります。

10月の京都は祭りが多く開催されますが、中でも極めつけは時代祭でしょうか。平安神宮の祭礼で、明治維新から延暦時代までを八つの時代に分け、各時代の風俗に扮した20の行列が都大路を練り歩きます。

開催日は毎年10月22日と決まっており、同日の夜に開催される鞍馬の火祭と共に観覧する事を楽しみに入洛する人も多いと聞きます。しかし、火祭の方は今年は中止なのだとか。先月京都を襲った台風21号による鞍馬地区の被害が甚大で、叡電もまた鞍馬駅まで開通していない事もその要因の一つの様です。どこまでも尾を引く災害の影響ですね。

観覧は沿道のどこからでも出来ますが、風情を求めるなら京都御苑がお勧めです。建礼門前大通りは有料観覧席となりますが、そこを外れれば無料です。ただ、行列が長いので、出来れば折りたたみの椅子を持って行くのが吉かも、です。

後は天気次第かな。もし雨が降った場合は翌日に順延となりますので、遠くから来られる方は日程に余裕を見ておいた方が良いでしょう。今年は雨が多いですが、出来ればすっきりとした秋晴れの下で観覧出来ると良いですね。

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2018.10.08

京都・洛中 無電柱化工事中 ~先斗町~

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たん熊北店に行く前、久しぶりに昼間の先斗町を歩いて来ました。昼過ぎから夜に掛けては観光客でごった返すこの道ですが、まだ昼前とあって比較的空いています。

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その先斗町、石畳が消えてアスファルトの道になっています。せっかくの情緒が台無しだと思ったのですが、無電柱化工事の真っ最中だったのですね。昨年から着工されており、2020年に完成予定だそうです。

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何でもありの先斗町にあっては、電線のある猥雑な光景も悪くはないという気もしますが、無くなってしまえばすっきりとした良い町並みだと思うのでしょうね。アスファルトのパッチワークの道も、それまでの貴重な風景です。

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2018.10.07

西郷どん 第三十七回 「江戸無血開城」

江戸城、大奥。
天璋院と会見した西郷。

天璋院の願いとは、
慶喜の首と引き換えに戦を終わらせて欲しいというものでした。
しかし、この戦は止める事は出来ないと西郷。
私は徳川家の名に賭けて戦うと天璋院。

江戸城総攻撃の前日、寛永寺。
謹慎を続ける慶喜。

薩摩藩邸。
海舟と会見する西郷。

江戸を火の海にする訳には行かない、
そのための条件だと書状を差し出す海舟。
その内容は徳川の降伏、慶喜の水戸での謹慎、
江戸城の明け渡し、軍艦、武器の引き渡しなどでした。


ただし、今少しの猶予と慶喜近臣の処分は寛大にして欲しいと海舟。
虫の良い話だとは判っている、
しかし、西郷程の男なら勝者としての嗜みは知っているはず、
江戸100万の民に塗炭の苦しみを味あわせて作る国に、
この先どんな望みがあると言うのかと海舟。

これまで民のために生きてきた事を思い返し、
ついに総攻撃の取りやめを決断した西郷。

すぐに京に上り、天子様に認めて頂くと西郷。
ほっとし、涙ぐむ海舟。
ただし、一つだけ譲れない事があると西郷。
慶喜公の事なら、会いに行けばいいと海舟。

これで今年も上野の桜が見られる、
お前さんの銅像とやらを上野に建ててやろうと海舟。

その夜、寛永寺。
慶喜の下を訪れた西郷。
俺を殺しに来たのか、早くその短刀で刺せと慶喜。
短刀を前に置き、なぜ逃げたしたのかと西郷。
俺はロッシュ殿から逃げたのだと慶喜。
精鋭のフランス軍12万と銃を五万丁貸そう、
その代わり勝った暁には薩摩を差し出せと持ちかけられた。
そうなれば薩摩もイギリスと手を組み、
イギリスとフランスの戦いとなり、勝った方が日本を支配する。
俺に出来る事は逃げる事だけだったのだと慶喜。

おいはおなたが恐ろしかった、
しかし、徳川慶喜ではなくヒー様こそがあなただったのだ、
徳川の血を引いて生まれたのがあなたのご不幸だったと西郷。
徳川最後の将軍としての御覚悟、この牛男しかと見せて頂いた、
ヒー様、よくぞ逃げて日本をお守り頂いた、
おやっとさあでこざいもしたと西郷。

京。
新政府に勝との会談の結果を報告する西郷。
これでは長州の面目が立たないと桂。
武器弾薬を残したままではまた戦になると収まらない桂に、
その時は私が慶喜を討つと西郷。

寛永寺。
戦は無しで済みましたと報告する海舟。
苦労を掛けたという慶喜に、一番苦労したのは西郷だと海舟。

慶応4年4月11日、江戸城明け渡し。
水戸へと向かった慶喜。

江戸城。
天璋院に会い、慶喜の首は切れなかったと西郷。
徳川の家を守って呉れた事、それ以上に望む事はないと天璋院。

別室に西郷を呼び、徳川幕府歴代の記録を渡す天璋院。
とんでもないお宝だと西郷。
その中に二宮尊徳の書を見つけ、感激する西郷。
西郷の作る国を見たくなったと天璋院。

すべてが終わり、安らかな眠りに付いた西郷。

寛永寺。
武器を手に集まり、彰義隊と名乗った旧幕臣の不満分子たち。
さらに蜂起した奥羽越の諸藩。

京。
彰義隊を殲滅すべく手を打ったという桂。

江戸城。
桂の命を受けて派遣された大村益次郎。
上野は半日で落とせると益次郎。

江戸市中、居酒屋。
酒を酌み交わす勝と西郷。
これからも戦い続けるつもりかと海舟。
彰義隊が終われば会津、その後は奥州と西郷。
その先はと海舟。
おいにも判らない、先の見えない戦だと西郷。
何にせよ死んではいけない、
龍馬が夢見た新しい日本を作ってくれと海舟。

「今回は江戸無血開城が描かれました。天璋院との対面、慶喜との会見など創作色の強い回でしたが、それぞれの覚悟や思いが上手く描かれていたと思います。特に慶喜に覚悟の程を語らせ、それを聞いた西郷が慶喜の本質はヒー様だったと言い、自らを牛男と名乗らせてかつての二人の関係に戻らせたのは、いかにもこのドラマらしい演出でした。」

「西郷と海舟の会見は実際には二度行われており、一度目に示されたのはは海舟自身の思い、無辜の民を苦しめる様では官軍とは言えない、賊軍だというものでした。これに対する西郷の応対は記録にありませんが、海舟はある程度の手応えを感じたのではないかと思われます。」

「その翌日行われた二度目の会見では、先に山岡が持ち帰った官軍からの条件、武器弾薬、軍艦を全て差し出せという要求に対する回答が示されました。それは新政府軍が要求する全面降伏ではなく、いずれ徳川家の石高が削減された場合、その削減された分の武器弾薬を差し出すというものでした。それまでは城も武器も持ったままというもので、かなり強気と言って良い内容でした。この回答を作成したのは海舟ではなく、旧幕府の実権を握っていた大久保一翁をはじめとする若年寄集団「参政衆」で、海舟は参政衆から談判を依頼されたという立場でした。」

「西郷はこの虫の良い回答を蹴っても良かったと思われるのですが、そうはせず一旦受け取り大総督府に持ち帰ると答えました。これにより3月15日の総攻撃は中止となったのですが、海舟としては大成功でした。海舟は西郷と自分の仲だから事が簡単に進んだのだと言っていますが、その裏には天璋院と和宮による嘆願、イギリス公使パークスからの停戦の要望、山岡鉄舟の事前工作などがありました。それらを全て含み、最後は西郷自身の度量の大きさから、海舟の申し出は受け入れられたと思われます。」

「西郷は徳川家から示された条件を大総督府に持ち帰りますが、大総督府でも判断は付かず、西郷はさらに京にまで戻る事になります。そこで作られたのは折衷案というべきもので、一旦全ての武器弾薬を差し出させ、その後徳川家の処分が決まればその石高に応じた分を差し戻すというものでした。これは最後通牒であり、交渉役の海舟の出番はなく、参与衆が受諾を決め、最終的に江戸無血開城が決まったのでした。」

「ところが、慶喜本人はこの新政府案に不満で、海舟と一翁に再交渉を命じたと言われます。しかし、再交渉の余地などなく、結局は新政府の案どおりになるのですが、この事で海舟と慶喜は喧嘩別れとなったのでした。これにより海舟は交渉役を罷免される事となります。」

「海舟が再度登場するのは榎本艦隊が江戸を脱走した時で、参与衆ではどうする事も出来ず、罷免されて引きこもっていた海舟に、榎本への斡旋を頼み込んだのでした。海舟は榎本を説得し一旦品川沖まで引き返させ、艦隊を二分して半分を新政府に引き渡すと言うことで妥協させました。この妥協を新政府側が受け入れたのは西郷の独断で、この事が元で西郷の新政府内における立場が悪くなったと言われます。」

「この様に、江戸無血開城はドラマ以上に複雑な経緯をたどったのですが、やはり西郷以外の人ではいかな海舟でも上手く行かなかったでしょうね。窮鳥懐に入れば猟師も殺さずと言いますが、西郷の持つ美質が最後には物を言ったのでしょう。」

「なお、海舟は交渉が決裂した場合、自らが江戸市中に火を放ち、新政府軍を火の海に叩き込むという策を立てていたと言われます。そのために市中の火消し組に渡りを付けてどこから火を放つかを決め、さらには市民を船で脱出させる手筈まで整えていたのでした。海舟も西郷の度量だけをあてに会見に臨んでいた訳では無く、いざとなれば戦う覚悟でいたというエピソードです。」

「次回は彰義隊との戦いから戊辰戦争に至る経緯が描かれる様ですね。そして、戦いを終えた西郷は薩摩に引きこもるのかな。一蔵との間に隙間風が吹きそうな予感のする回になりそうです。」

(参考文献)
「西郷隆盛」 「西郷隆盛 維新150年目の真実」 家近良樹著 「西郷隆盛 手紙で読むその実像」 川道麟太郎著 「西郷隆盛53の謎」 原口泉著 「勝海舟と西郷隆盛」 松浦玲著

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2018.10.06

京都・洛中 たん熊北店

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味覚の秋のプチ贅沢がしたくて、ちょっと豪華なランチをして来ました。選んだお店はたん熊北店、木屋町にある和食の名店です。

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このお店、学生の頃から知ってはいたのですが、敷居が高くて入った事は無かったのですよ。何度店の前を通ったのか判りませんが、今回やっと念願かなって中に入る事が出来ました。

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たん熊北店は昭和3年の創業で、今年で90周年を迎えます。京都にあっては特別老舗という程ではありませんが、木屋町という食の厳選区でそれだけの間暖簾を守って来たという実績はたいしたものです。

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今では東京や神戸にも支店を出しているのですね。最初はカウンター席だけの小さな店だったそうですが、今では大店となっているのでした。

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この日のランチのメニューには無かったのですが、どうしても食べたかったのが松茸の土瓶蒸しです。一緒に入っているのは鱧で、京都の秋のメニューとしては定番と言っても良いのかな。鱧は夏のものと思われ勝ちですが、秋もまた二度目の旬なのですね。松茸と鱧のハモーニーは、この日一番の贅沢な一品でした。

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味の方はと言うと、濃くも無くかと言って薄くもなく、丁度良い塩梅でした。これぞ京都の懐石料理と言ったところでしょうか。

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最後の〆は栗ご飯。家庭の炊飯器で炊いたご飯とはやはり違いますね。懐石料理には季節感も大切です。

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水物は一転して洋風にまとめられていました。もっと渋いまとめ方をしてくるのかと思っていたのですが、嬉しい不意打ちでした。

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椅子席で予約していたのですが、通されたのは床の間付きの和室でした。しつらえは秋らしく菊の掛け軸と季節の花の生け花、そしてなぜか火縄銃です。これって何か意味があるのかしらん。意表を突くのも老舗らしさなのかな。

昼間からお酒を頂き、普段のストレス発散を十分にさせて頂いた一時でした。

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