2016.12.07

京都・洛中 京都紅葉事情2016 ~北野天満宮 12.3~

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平成28年12月3日の北野天満宮です。この日は紅葉が見頃を迎えていました。

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ここは見頃を迎えるのが糺の森に次いで遅いですね。この時期に訪れるには、有り難いポイントの一つです。

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北野天満宮は、昨年のそうだ京都行こうのキャンペーン対象になったところです。その際に整備したのでしょう、八棟造の本殿を眺める舞台が出来ていました。そこからポスターと同じ構図を狙ってみたのですが、遠く及びませんでした。もっとも、あちらは合成だものなあと負け惜しみを言ってみる。

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紙屋川沿いはまさに紅葉の盛りでした。ただ、オレンジ色が強く、今ひとつ綺麗で無かったのが残念です。

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北野天満宮の紅葉は、そろそろ終盤を迎える頃でしょうか。ライトアップは終わってしまいましたが、もみじ苑の公開は11日まで行われます。最後の紅葉を求めて訪れて見るのも良いかも知れませんよ。

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2016.12.06

京都・洛西 京都紅葉事情2016 ~等持院 12.3~

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龍安寺から等持院へとやって来ました。龍安寺で結構紅葉が残っていたのでここでもと期待していたのですが、残念ながらほぼ終わっていました。ごく近くにあるのに随分と差があるものです。

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等持院に入ってまず目に付くのがこの達磨の絵です。天龍寺にも同じ様な絵がありますが、どちらも元天竜派管長関牧翁が描いたものです。なので、両方が似ていて当然なのでした。

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ほぼ終わっていた中で、わずかに残っていた紅葉もありました。ピークはいつ頃だったのだろう、盛りの紅葉を見たかったな。

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峠の茶屋の様な茶室は清漣亭。足利義政好みと言われ、上段一畳を貴人床とする二畳台目の茶室です。ただし、実際に作られたのは江戸時代の末期の様ですね。

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ここに来るのは9年ぶりとなるのですが、その間に随分と手入れされた様な気がします。その反面、以前は何の規制も無かった歴代の足利将軍像が撮影禁止になっていました。調べたところ、2009年頃に像を破損した不心得者が居たそうで、像の前面にはアクリル板が施されていました。たぶん、撮影禁止もその時に実施されたのでしょうね。最近の京都はどこへ行っても規制ばかりで、何だかなあと思ってしまいます。

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2016.12.05

京都・洛西 京都紅葉事情2016 ~龍安寺 12.3~

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平成28年12月3日の龍安寺です。この日は紅葉が見頃を保っていました。

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見頃と言っても石庭はさっぱりで、右側のもみじはオレンジ色、左側のもみじはまだ緑色が混じっていました。その後、綺麗になったかどうかは判らないですけどね。

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見頃だったのは園路の中で、この時期の紅葉としては良く残っていました。少し色付きは薄かったですけど、十分に美しかったです。

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鏡容池の周辺もまだ紅葉が残っていました。池面に映った紅葉が綺麗でしたよ。

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この時期って、修学旅行の季節なんですね。この龍安寺にも次々と修学旅行生が押しかけていました。それは良いのだけど、石庭の滞在時間はわずか2~3分程、これで来た意味ってあるのかしらん。皆で石が14個しか見えない事を確認して終わりなんて、あまりにも寂しいんじゃないかと思ってしまいました。もう少し考えてあげられないものなのでしょうかね。

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2016.12.04

真田丸 第48回「引鉄」

夜陰に乗じて徳川本陣を襲った又兵衛たち。

大坂城。あれで良かったのかと又兵衛。十分だと幸村。

家康は昨夜の夜討ちでさぞ慌てた事でしょう、明日の夜きっと京に戻るはず、その道中を狙うと幸村。良き案だと有楽斎。

有楽斎から刺客が来る事を知らされ、予定を早めた家康。

家康は、裏をかいて今日中に発つ。その裏をかくと幸村。必ず仕留めて見せますと佐助。

きりに、もし無事に帰ってきたら夫婦になって欲しいと頼む佐助。ごめんなさいときり。

秀忠にすぐに江戸に帰れと家康。すぐにも総攻めをと秀忠。我らが去れば浪人どもも居なくなる、そこを攻めるのだと家康。

戦は終わった、浪人達には一日も早く出て行ってもらいますと大蔵卿局。浪人が戦の火だねになりかねない事は判っているのかと有楽斎。承知の上と幸村。浪人達はできうる限り家臣にしてやりたいと秀頼。

密書を書き、部屋の外の者に手渡した有楽斎。しかし、それは幸村でした。

徳川に通じている事は判っていたと幸村。わしなりに豊臣家の事を考えての事だと有楽斎。刀を抜いた幸村。命乞いなどせぬと有楽斎。いますぐに出て行かれよ、そして戻ってくるなと幸村。

家康の宿所。家康を倒しに現れた佐助。格闘の末家康を刺し殺した佐助。

大坂城。家康は二条城に入ったという知らせを持ってきた内記。佐助が倒したのは影武者でした。次は逃すなと幸村。

慶長20年。陣を払い始めた大名達。たむろし続けている浪人達。むしろ、豊臣方が勝った事で、その数は増えていました。

勝算はあるのかと治長。茶臼山と岡山の間に空堀を掘り、この一帯を巨大な要害とする、ここで敵を迎え撃つと幸村。お主の不屈の精神には感服すると治長。私は勝つためにここに来たのですと幸村。

秀頼の御前。浪人達はそのままというのかと大蔵卿局。ここは左衛門佐に従いたいと治長。左衛門佐と耳障りだと大蔵卿局。これより母上は口を挟まないで頂きたい、後は秀頼公と私で事を決めていきますと治長。修理、頼みましたよと淀の方。

この要害で敵を打ち払って見せますと幸村。見事だと秀頼。これだけの堀を築くのには時が掛かる、それを稼ぐために浪人衆を解き放つのに手間が掛かっている事にしますと幸村。家康を騙すのだな、面白いと秀頼。

殿様にお願いしたい事が、浪人達は手柄を立てたいと逸っている、そこで身内を城内に入れる事を許して欲しい、そうすれば彼らの気持ちも少しは収まるはすばと幸村。容易いことと秀頼。

身内と出会い喜ぶ浪人衆。

秀頼の御前。これより甥達に会ってきますと幸村。そのまま向こうに付いてはなりませんよと淀の方。私は終生豊臣の家臣ですと幸村。肉親が敵味方に別れて戦うというのは辛いものだなと秀頼。それを申せば、姫様の方がもっと辛い目にと幸村。さぞ苦しかっただろうと秀頼。首を振る千姫。

わしはいずれ大坂を離れようと思っていると秀頼。城を出るのですかと淀の方。殿様がここに居られるかぎり、必ず争いの火種となりますと幸村。源次郎が居れば心配ないと淀の方。何時までも私が居るとは限りませんと幸村。

浪人達を連れてやはり四国に移ろうと思いますと秀頼。京、大坂にも近いと幸村。無論、源次郎も来てくれるのであろうなと淀の方。無言の幸村。讃岐と阿波の二カ国では如何でしょうと秀頼。せっかくだから、伊予と土佐も頂きましょう、だったら私も四国に参りますと淀の方。母上に判って貰えて何よりだ、千も良いなと秀頼。早速、家康に伝えましょうと淀の方。未だ早い、国替えの事を持ち出すのは次の戦に勝った後と幸村。

幸村の部屋。長宗我部殿の悲願は、土佐の国主となる事でしたねと幸村。欲を言えば四国全土を治めたいと盛親。甲斐や信濃では駄目ですかと幸村。四国を欲しがっている者が居るのだなと盛親。案ずるな、今度徳川が攻め込んできたら終わりだという事くらい判っていると盛親。私はまだ諦めてはいない、確かなところを聞きたいと幸村。四国を欲しいのは誰だと盛親。秀頼公と幸村。ならば淡路島と盛親。

廊下で千姫に呼び止められた幸村。江戸に帰りたいと訴える千姫に、聞かなかった事にしますと幸村。

信吉の陣。訪れた幸村を出迎えた三十郎と茂誠。初めて出会った信吉と信政、それに大助。

大坂城。畑を耕す作兵衛。腰を痛めている内記。作兵衛を手伝う春。

茂誠と三十郎と談笑する幸村。戦が終わった後は、上田に戻りたいものだと幸村。

大助と談笑する信吉。それを咎める信政。大助も幸村も徳川に逆らった大罪人と信政。むっとして、信政に向かっていく大助。大助を投げ飛ばす信政。何事かと駆けつけた三十郎。相撲を取っていましたと信吉。では私が相手だと信政を投げ飛ばす三十郎。

茂誠に、野戦のこつを聞く幸村。敵陣に馬で突き入るには槍が一番でしょうかと幸村。一度敵に囲まれたらお終いだと茂誠。狙うのが大将の首なら、鉄砲が一番と茂誠。しかし、火縄の扱いに手間取って狙い撃ちにされる事もあると、幸村を見る茂誠。誤魔化すように、江戸の兄上と姉上に文を書きましょうと幸村。

大坂城。畑仕事を続けていた作兵衛たち。手伝うかと幸村。

ここは昔、茶室が建っていたところなんだってときり。利休様がと幸村。

土を耕す作兵衛。その時、利休の刻印が入った木箱を掘り当てます。中から出てきたのは短い二丁の鉄砲でした。

これはイスパニア人から聞いた馬上筒というものだと勝永。火打ち石によって火縄を使わずに撃つことが出来る、いちいち火縄に火を付ける必要が無いので馬の上からでも撃つ事が出来ると勝永。それで馬上筒と幸村。新しい武器ゆえ、利休は商いの目処が付くまで隠しておいたのだろうと勝永。

秀頼の御前。徳川からいますぐ浪人達を解き放てと言って来た、これ以上長引くと徳川に刃向かうと見なすと言ってきたと秀頼。取り合ってはなりませぬと幸村。一日も早く浪人達を追い出すべきですと大蔵卿局。その話はもう決着が付いていると治長。

浪人達に渡した支度金がそろそろ尽き始めていると重成。修理、城には如何ほどの蓄えがあると秀頼。浪人達を暫くは養えるほどはありますがと治長。渡したところでその場しのぎ、今少し待ちましょう、次の戦に勝てば、徳川から御領地を奪い返す事も出来ますと幸村。空堀の作業を急がせよと治長。

蔵を開けよと迫る治房。その様な訳にはいきませぬと重成。

又兵衛と勝永に、浪人達を抑える様に頼む幸村。俺たちにしても、養って行かなければならない身内や家臣が居ると勝永。いずれ必ず豊臣の家臣として扶持が頂けるのであろうなと盛親。約束しようと治長。戦はあくまで要害が出来てから、それまで辛抱してもらうと幸村。

蔵を開け、金銀、米を持ち出した治房。

治房を叱りつける治長。気掛かりなのは浪人達、かくなる上は全ての浪人たちに褒美をやるしかないと幸村。

堀を掘り返したいと治房。なりませぬと幸村。堀が無ければ勝てないと治房。勝てますと幸村。

金を配った秀頼。その金で武器を買い求めた浪人達。

あり得ぬとあせる幸村。

駿府城。大坂の様子を聞く家康。

大坂城。闇討ちされた治長。

治長を見舞う幸村。弟だ、母も絡んでいるはず、ただの身内の喧嘩だと治長。

堀を掘り返そうとする治房。止める又兵衛と勝永。本気で止めない又兵衛を押しのけて行ってしまう治房。

堀の掘り返しが始まってしまったと勝永。みんな戦がしたい、そろそろ腹を括る時かもしれないと又兵衛。戦が起きる時は、誰も止める事は出来ないと幸村。

駿府城。大坂城の二の丸の堀が掘り返されていると聞き、ここまでだと諸大名に戦支度を命じ、自らも出陣する家康。

信之に無沙汰の文を書き、その中で末の行く末を託した幸村。

弟は死ぬ気だ、わしには判ると信之。おそらくは家康と刺し違えるつもり、止められるのは自分しか居ない、大坂に行くと信之。

馬上筒の試し撃ちをする幸村。


今回は大坂夏の陣の前夜が描かれました。創作色の強い回ではありましたが、緊迫感は伝わってきたと思います。

まずは、幸村が構想したとされる要害についてですが、手持ちの資料には無く、たぶん創作ですね。大体、堀の掘り返しだけで謀意ありと取られたのなら、大規模な空堀の設置などもっと悪意に取られたんじゃないかしらん。

その堀の掘り返しですが、実際に行われており、場所によっては人の肩を超すところまで掘り返されました。それでも、籠城に十分な堀にまでは回復しなかった様ですけどね。

話が戻りますが、佐助による家康暗殺は創作です。そもそも佐助そのものが真田十勇士の一人で、創作上の人物ですから当然か。

幸村がつかの間の休戦の間に真田家の陣地を訪れたのは史実にあるとおりで、信吉などと旧交を温めた様です。また、故郷の人たちに向けて文も送っていますが、末の事を頼んだのは信之ではなく石合十蔵です。

以下、順不同になりますが、浪人達が冬の陣より増えたのは史実にあるとおりで、ドラマでも言っていましたが、徳川に勝ったという評判が全国の浪人達に行き渡った結果の様です。

豊臣家では、この対策に苦慮しており、浪人達を解き放つと共に、新規の抱え込みはしないという立て札を立てたりしましたが効果はなく、浪人が減ることは無かった様です。

その一方で浪人に支度金を出した事も事実で、このあたりの矛盾した行為は豊臣家の内部で分裂が生じていた事を示しています。またドラマにあった様にその金で浪人達が武具を買い、それを禁止する命令を出したと言いますから、混乱の極にあった事が窺えますね。そして、その事が徳川家に疑惑を抱かれるきっかけになった事も史実どおりです。

秀頼が四国に移るという話は、冬の陣の和議交渉の時に出てきた話で、夏の陣の時には大和郡山に移るようにという条件が示され、秀頼はこれを拒否しています。

ドラマでは治長は主戦派となっていましたが、実際には和平派で、浪人を解き放ち、徳川家との約定を守ろうと考えていた様です。対する治房は主戦派で、兄弟で対立していた様ですね。その治長が襲われたのは史実にあるとおりで、その犯人として治房が疑われていました。

作兵衛が馬上筒を掘り当てたというのは無論創作ですが、ここで利休の刻印を持ってくるとは思わなかったですね。でも、これで、幸村が馬上筒を手に入れた経緯が自然に説明された事になり、このドラマの伏線の巧みさには舌を巻く思いです。

最後に信之が大坂に行くと言っていましたが、これも創作ですね。信之は大坂の陣には参加しておらず、冬、夏共に二人の息子に託しています。

次回は夏の陣が始まります。いよいよクライマックスが近づいていますが、その前に幸村の名台詞も聞かれる様ですね。また、きりとの関係にも進展がある様で、どう描かれるのか楽しみに待ちたいと思います。

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2016.12.03

京都・洛東 京都紅葉事情2016 ~知恩院 11.26~

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洛東の紅葉散歩、最後は知恩院にやって来ました。ここは特に紅葉の名所という訳でもないのですが、境内のそこかしこにもみじや銀杏があって、良い年回りの時はそれなりに綺麗ですよ。

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その一つが方丈庭園なのですが、今年は外れ年でした。例えば、この木は一見するとちゃんと紅葉している様に見えますが、実は葉が縮んでいます。

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その一方で、半ばまで紅葉しているもみじもありました。この木などは、時間と共に赤くなって行ったのかもしれのせん。


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この日一番綺麗だったのが、御廟の前にあるこの木でした。全ての木がこれくらいの出来だったら、素晴らしく良かったのでしょうけどね。

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ここは知恩院の中の紅葉スポットとして有名な黒門口の参道です。でも、この日は紅葉半ばという感じでした。その中で既に散ってしまっている木があり、まだ緑の木がありといった具合で、どう判断したら良いのかと迷う状態でした。今日あたりどんな感じたったのかな。最後に色付く紅葉スポットだけに、少し気になるところです。

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2016.12.02

京都・洛東 京都紅葉事情2016 ~円山公園 11.26~

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圓徳院から円山公園にやって来ました。ここで紅葉の見所となるのは、まず池の周辺になります。この日は程度の異なる木が混在していたな中で、この木が最も鮮やかに色付いていました。

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こちらは龍馬像です。この周辺ももみじが多いのですが、龍馬の周囲は今ひとつでした。ただ、少し離れたもみじは、鮮やかに色付いていました。わずかな環境の違いが、この結果を生むのかしらん。

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円山公園をさらに奥に進みます。料亭「未在」の前も紅葉スポットなのですが、この日はまだ少し浅い色付き方でした。今週末にもまた行ってみようかしらん。

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さらに進んで、公園の一番奥にたどり着きました。ここは知る人ぞ知る紅葉スポットで、ほとんど人が訪れる事はありません。年によって当たり外れが大きいのが難点ですが、今年は綺麗に色付いてくれました。

円山公園の紅葉は、もう終わったところも多いでしょうけど、まだ残っている紅葉もあると思われます。何しろ広いですからね。名残の紅葉を求めて行くには良いところかも知れません。

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2016.12.01

京都・洛東 京都紅葉事情2016 ~圓徳院 11.26~

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清閑寺から圓徳院へとやって来ました。拝観時間が9時からなので、それに合わせて清水寺で時間を潰していたのですが、この頃になるとさすがに人が増えてきましたね。紅葉シーズンだけの事はあります。

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円徳院には二つの庭があり、こちらは南庭です。平成6年に方丈の解体修理に合わせて整備されたもので、比較的新しいものですが22年の歳月を経て落ち着いた風情を持つ様になっています。紅葉はまずまずの見頃だったかな。

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北庭は伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、賢庭が作庭したものに小堀遠州が手を加えたものと言われます。圓徳院の紅葉と言えば、やはりこちらになるのかな。

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紅葉はほぼ見頃でした。ただ、ここも清水寺と同様に今ひとつ色合いが良くなかったです。透明感がないという感じなのですが、もしかしたらまだこれから先があったのかも知れません。それとも、雨で散ってしまったかな。どちらにしても、もう終わっている事でしょう。また来年、綺麗な紅葉を見せて貰えたらと思っているところです。

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2016.11.30

京都・洛東 京都紅葉事情2016 ~清閑寺 11.26~

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清水寺から清閑寺へは、歌の中山を通って来る事になります。とは言ってもただの山道なのですが、修行僧が不思議な女性に遭ったという故事を知っていれば、また趣も違って感じます。

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その清閑寺にあるのが要石。この景色を扇に見立て、その要の位置にある事からこの名があります。紙垂が飾られているのはこの石に向かって願うと叶うと言われているからで、ここに行くときは何か願い事を持っていくと良いですよ。

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紅葉はまだ盛りには早かったですが、この木は一足早く色付いていました。今頃はこの木が散って、他の木が見頃になっているんじゃないかしらん。

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ここは隠れた紅葉の名所ですが、シーズン中でも人が少ないのが良いです。清水寺から歩いて五分程度なのですけどね、あの狭まくて小さい門は潜りにくいのかも知れません。そのおかげで穴場スポットなのだから、まあ良しとしておくのかな。

明日は圓徳院に向かいます。

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2016.11.29

京都・洛東 京都紅葉事情2016 ~清水寺 11.26~

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紅葉時分にはごったがえす清水寺ですが、早朝なら混雑とは無縁に過ごせます。ここは朝6時から開いているので、頑張って早起きすればそういう事が出来るのですよ。

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紅葉はほぼ見頃でした。ただ、少しくすんだ様な色で、あまり綺麗ではなかったです。もしかしたら赤く染まる直前だったのかもしれませんが、前後を見ていないので何とも言えないです。

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長らく補修中だった奥の院と阿弥陀堂は、ようやく素屋根が外されました。ただ、阿弥陀堂はともかく、奥の院が朱色に塗られていたのには驚きましたね。元はこの色だったという事なのでしょうけど、そうなると本堂も同じ様に塗られるのかしらん。なんだかイメージが変わってしまいそうです。

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その本堂の修理は来年から始まるそうです。暫くは素屋根に覆われる事になり、この景色も数年は見納めとなります。でも、舞台には入れるそうなので、上から見る景色は修理中も見られるとの事です。

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ところで、その本堂を紅葉と絡めて撮ろうとする人たちが、子安の塔の前の通路を占拠していました。みんな三脚を据えて、かつ足下に荷物を置いていて、動こうとはしないのですね。たぶん、日差しが掛かるのを待っていたのでしょうけど、他の観光客が来てもまるで無視でした。

もういい加減、京都に三脚を持ち込むのは止めて貰えないかしらん。そこら中で三脚が禁止になり、下手をすれば撮影そのものが禁止になりかねなかったという事を知らないのかな。三脚が無ければ写真を撮れないという訳でもあるまいし、それほど迷惑な道具だという事を自覚してもらいたいものだと思います。禁止されていなければ何をやっても良いというものではないですよ。

つい愚痴になってしまいました。次は清閑寺に向かう事にします。

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2016.11.28

京都・洛東 京都紅葉事情2016 ~八坂の塔 11.26~

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平成28年11月26日の紅葉散歩は、混雑を避けて早朝の東山界隈を歩いて来ました。最初に出会うのがおなじみの八坂の塔、まだ明け切らぬ晩秋の朝の景色です。

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八坂の塔も隠れた紅葉スポットの一つです。塔の下に大きなもみじがあって、良い年回りの時は見応えがありますよ。この日はまだ三分程度の色付き方で、まだこれからという感じでした。

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もっとも、ここは以前と違って不定期の公開になってしまったため、来てみないと入れるかどうか判らないという事情があります。そのうち、幻の紅葉ポイントと呼ばれる様になってしまわないかしらん。

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高台寺への上り口から見ると、こんな感じになります。毎年見慣れた景色ではありますが、やはり京情緒に溢れていますね。

次は清水寺に向かう事にします。


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