2016.10.01

京都・洛西 彼岸花2016 ~嵯峨野特別保存地区 9.25~

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平成28年9月25日の嵯峨野特別保存地区です。この日は彼岸花が見頃を迎えていました。

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ここは、正しくは嵯峨野歴史的風土特別保存地区というのかな。広沢池と大沢池に挟まれた一帯の事を指し、昔ながらの田園風景が守られるように、法律で宅地化などが規制されています。都市化の著しい京都近郊にあって、こうした景色が残されているのは保存地区に指定されているからなのですね。

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去年もそうでしたが、今年も長雨が続いたせいか、稲刈りがまだ終わっていない田んぼが多く見られました。農家の方にとっては迷惑な事かもしれませんが、訪れる側としては里の秋らしい景色が見られるので有り難い事です。

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彼岸花は、大抵は畦に咲いているので、遠くから見るとこんな具合に稲穂の間から頭だけを出しています。それに黄色く熟した稲と赤い彼岸花のコラボレーションは、最も美しい色彩の組み合わせの一つなんじゃないかしらん。こういうシーンを見られるだけでも、ここに来た甲斐があったと思えますね。

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嵯峨野の彼岸花は、まだつぼみのものもあったけれど、もうピークは過ぎてしまっているでしょう。あるいは、草刈りと一緒に刈り取られているかな。また来年、美しい田園風景の中に、きれいな花を見に行けたらと思っている所です。

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2016.09.30

京都・洛東 萩2016 ~常林寺 9.24~

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平成28年9月24日の常林寺です。この日はまだ萩が見頃を保っていました。

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見頃とは言っても先週に降った雨の影響は著しく、多くの花びらが地面に散っていました。もし、雨が無ければ花に埋もれたような満開の萩が見られた事でしょう。

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ここでも彼岸花は咲いていました。この前週に行った時はまだシュートは出ていなかったのですが、一週間の間に咲いてくれたのですね。

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雨に打たれた後の花も、見ようによっては悪くないです。少しくたびれた花は全て散り、新しい綺麗な花だけを見る訳ですから、少し間延びしたところを無視すれば良いという理屈です。

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意外な事にこの日はまだつぼみは残っており、もう暫くは咲き続けそうでした。もしかしたら今日あたりはまだ見頃だったんじゃないかしらん。明日もし行ける様なら確かめて来たいと思っているところです。

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2016.09.29

大原 リバーサイドカフェ 来隣

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この日お昼を頂いたのは、「リバーサイドカフェ 来隣(きりん)」でした。その名の通り、高野川の畔にある素敵なカフェです。

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以前は本ワラビ餅が食べられる店でしたが数年前に閉店し、暫くは空き家でした。そして、3年前に現在の店がオープンしたのですが、地元産の野菜を使った料理が食べられる事で有名になり、今ではすっかり人気店となっています。この日は予約していなかったのですが、開店時間直前なのにまだ誰も待っていなかったので、入ってみる事にしたのでした。

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ランチのメニューは、このレモンカレーと冒頭のおにぎりランチです。この店のコンセプトから言うと、おにぎりの方がぴったり来るのかな。おにぎりは全部で8種類あり、そのうち5種類を選ぶ事が出来ます。この日選んだのは田舎梅と黒ごま、満願寺辛煮、肉味噌となす、京のちりめん山椒、青しその醤油漬けです。それぞれ工夫があって、美味しかったですよ。

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人気があるのは、この野菜のバイキングがあるからの様ですね。地元産の野菜を使った数種類の総菜を、好きなだけ食べる事が出来ます。どれも新鮮な野菜で美味でしたよ。

開店と同時に満席になっており、外で待っている人たちも居ました。行列が出来る程ではないにしろ、かなりの人気店である事は間違い無いです。時期にも依るでしょうけど、予約しておくのが確実なのかな。あるいは、開店前に順番待ちの名前を書くようになっているので、少し早めに行って順番を確保し、散策を楽しんでから開店時間(11時30分)に帰って来るというのが吉なのかもしれません。

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2016.09.28

京都・洛北 コスモス2016 ~大原 9.24~

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彼岸花と共に秋の大原の里を彩るのがコスモスです。以前の様な大きな花畑は無くなって来ているのですが、それでも里人が植えたコスモスがそこかしこで咲いているのを見る事が出来ます。

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特に寂光院からバスターミナルまでの間は、コスモスが咲いた風情のある景色が多いですね。家並みが途切れると視界が開け、そこには必ずコスモスが咲いているという感じかな。

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コスモスは風に揺れる様も絵になりますね。ふわふわと風に吹かれている花を見ていると、いかにも秋なんだなという気がします。

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そのコスモスの中で、少し異彩を放っているのがキバナコスモス。中間色の多いコスモスの中にあって、はっきりした黄色でその存在をアピールしています。コスモスの群れの中では良いアクセントになっているとも言えるのかな。

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大原の里を歩いていて一つ残念なのが、茅葺き屋根の家が無い事です。かつては茅葺きだったと思われる家も、ほとんどが鉄板葺きに変わっており、風情を削いでいます。無理な注文とは判っていますが、もう一度復活させる事は出来ないものかしらん。きっと良い観光資源となると思うのだけどなあ。

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2016.09.27

京都・洛北 彼岸花2016 ~大原 9.24~

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この時期の大原の里では、彼岸花が咲き乱れます。毎年開花するタイミングが微妙に前後するので今年はどうかと思っていたのですが、この日はまさに満開でした。

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丁度稲刈りの時期でもあり、この田んぼの横ではコンバインが動いていたのですが、まだ刈り取り前の稲が残っていたのは幸いでした。稲と彼岸花のコントラストは、最も秋らしい風情の一つですからね。

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刈り取りの終わった藁が干されている光景にも出会えました。京都周辺ではあまり見る事がなくなった景色ですけど、これもまた秋らしさが感じられる一コマです。

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一番咲いている場所では、こんな感じでした。まさに足の踏み場も無いというところでしょうか。土手の斜面であり、頻繁に草刈りをされる事もないので、これだけ繁殖出来たのかな。

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今年の彼岸花は当たり年だったと言って良さそうです。もっともピークはこの日で過ぎ、そろそろ下り坂になっているでしょうね。これだけ見事な花に出会えたのは、かなり幸運だったと思います。

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2016.09.26

京都・洛北 秋海棠2016 ~寂光院 9.24~

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お彼岸も後半を迎えた9月24日、秋の風情を求めて大原の里を訪れて来ました。

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最初の訪問地は寂光院、大原では西に位置する天台宗の尼寺です。創建は推古2年(594年)と古く、聖徳太子が、父の用明天皇の菩提を弔うために建てられたと伝わります。

元の本堂は桃山時代頃のものと言われていましたが、平成12年に放火にされ、ご本尊諸共焼け落ちてしまいました。現在の建物は平成17年に再建されたもので、これも新しく復元されたご本尊(地蔵菩薩立像)をお祀りしています。

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今の時期の境内では、美しく咲きそろった秋海棠を見る事が出来ます。この日はまさに満開で、こぼれんばかりに咲いていました。

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大原は寂光院だけでなく、三千院周辺でも秋海棠が咲いています。中国原産の花ですから自生ではく、この里の人や僧侶達によって植えられたものなのでしょう。でも、この山里の風情にはぴったり来る花ですね。

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この日は柴漬けの日にあたるという事で、大原女の装束を着た人たちが柴漬けを配っていました。調べてみると、9月21日から24日の間に寂光院を訪れた先着100名に進呈とあり、丁度良いタイミングで行けた様です。

柴漬けは阿波内侍が建礼門院のために考案したと伝わり、その美味しさに感激した女院が命名したのだとか。まさにここが発祥の地と言われる所以です。女院はむらさきは(紫葉)漬けと呼んだとも言い、鄙の中にも雅さが感じられる名付け方ですね。

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2016.09.25

真田丸 第38回「昌幸」

慶長6年正月、九度山村。昌幸らに、村から一歩も出るなと伝えに来た浅野家家臣。

九度山村の長にあいさつに出向いた信繁。何でこの村に来た、一日も早く去ってもらいたいと村長。

きりと真田の郷の思い出話をする信繁。そこに現れた春。歩いてこようと誤魔化すきり。

自分の住む小屋を建てた佐助。たった一日でと感心するきり。素っ破ですからと佐助。頼りになるときり。きりの絵を見せる佐助。絵も上手ときり。素っ破ですからと佐助。

信之からの手紙を信繁に見せる昌幸。源三郎が幸の字を捨てた事を知り、その字を貰ってくれぬかと昌幸。考えておきますと信繁。

沼田城。家康への赦免を願う文を認める信之。

伏せったふりをして、まんじゅうばかりを食べている薫。

九度山。薪を切る春。その不器用さを見て、源次郎様にやってもらったらときり。私の仕事ですと春。春と代わって、腰が大事と教え、切ってみせるきり。いつか源次郎に嫌われてしまうか不安と春。大丈夫ときり。梅に似ているからかと春。梅もあなたも私みたいに垢抜けていないところが良い、自信をもちなさいときり。

私、くやしいんですと信繁に訴える春。きりに何か言われたのなら、上田に帰すと信繁。きりの事はどうでも良い、梅の事だと春。今でも源次郎の中には梅が生きている勝てるはずが無いと言い、障子を破り始める春。後ろから抱きしめる信繁。

会津城。米沢30万石に減封されてしまった景勝。

信繁の子を身籠もった春。もし女の子だった梅という名にする、そうすればこの先梅と呼べばこの子の事になるからと春。

慶長8年2月、征夷大将軍となり、同じ年、孫娘千姫を嫁入りさせた家康。

九度山。家康が征夷大将軍となったと知り、浮かれている今が赦免の好機だ、ここで駄目なら後は無いと昌幸。

沼田城。赦免を願い出る書状を正信宛に届ける信之。

伏見城。家康に信之からの書状を手渡す正信。中身を見ずに、判っておると家康。九度山に追いやってからはや2年、良い機会かとと正信。ならぬ、昌幸は死ぬまであそこに居るのだと家康。

2年後、秀忠に征夷大将軍の座を譲った家康。

九度山。家康は今浮かれている。これが赦免の最後の好機だ、ここで駄目なら後は無いと昌幸。

家康に再度赦免を願い出る正信。くどい、あの男が九度山を出るのは骨になった時だと家康。もう我らの耳に昌幸の事は入れるな、あの男は死んだのだと秀忠。

沼田城。いつになったら赦免されるのかと信之を責める薫と松。今、手を尽くしているところと信之。みんなで直訴してはと松。そこに入って来て、夫は真田安房守とは縁を切ったのだ、真田の家が潰されたらどうする、もうその名を口にする事はなりませぬと一喝して去る稲。後に残り、稲はこれ以上家康が機嫌を損ねれば昌幸も信繁も命が危ないと心配しているのだと、とりなすこう。それならそう言えば良いのにと薫。

九度山。もうここから出られないのかもしれないとつぶやく昌幸。

慶長11年、大坂城。秀頼主催の鷹狩り。見事な若武者に育った秀頼。随行する清正。

九度山。柴刈りから帰る途中、江雪斎にあった信繁。隠居するという江雪斎に、自分も蟄居暮らしに慣れたと信繁。お主は駄目だ、その目の奥に熾火が燻っている、いずれ誰かがその火を求めに来ると江雪斎。

昌幸に会いに来た村長。隣村との喧嘩について指南してもらいたいと村長。指南を言いかけて黙ってしまう昌幸。後を引き受けて、村同士の争いは太閤殿下が禁じられた、浅野の殿様に話を持っていくが良いと諭す信繁。

沼田城。二人の孫相手に竹とんぼを作っている忠勝。その時、小刀で指を切ってしまった忠勝。

駿府城。家康に隠居を願い出る忠勝。一度たりとも手傷を負った事が無いのが自慢だったのが傷を負ってしまった、この太平の世出番はないと忠勝。まだまだ判らない、西の方で一波乱あるやもしれないと家康。その時は蜻蛉切を持って駆けつけますと忠勝。慶長15年、忠勝、没。

慶長16年正月、京。北政所に会うことは出来ないかと思案する信之。それは無理でも、その下でかつて侍女達の指南役をしていた者が居ると聞いた、あたってみますかと綱家。

小野お通と会った信之。

大坂城。秀頼の若武者ぶりを家康に見せてはどうか、そうすれば豊臣家の扱いも変わって来るはずと清正。

駿府城。上洛はしよう、ただし対面の場は二条城とする、そうすれば世間は豊臣も徳川の臣下となったと思うはずと家康。

大坂城。徳川は豊臣の家臣、向こうから来るのが道理と清正。私ならかまわぬ、どんな形であれ、大事なのは私と家康が会う事ではないのかと秀頼。もう一つ、対面は二人きりでとの事と且元。いかん、罠かもしれないと清正。差し向かいで話したいと言うのならそうすれば良いと秀頼。

慶長16年4月8日、二条城。上段の間で待つ家康。廊下を行く秀頼と扈従する清正。

清正の回想。もし私が志半ばで倒れたら、豊臣家の事お主に託す、命に替えて秀頼様を守れと三成。

廊下の半ばで現れ、清正を止める正信。自分は大御所様の警護のために参るのだと押し通る清正。

対面の場に入った秀頼と清正。清正に退席を促す家康。いったん退出しかけて、かえって前に出て座った清正。

堂々とした声で、豊臣秀頼であると名乗りを上げた秀頼。威に打たれた様に、ご無沙汰いたしておりますると頭を下げた家康。

あれは本当に太閤の子かと家康。なかなかの若武者ぶりでしたなと正信。いかんのうと爪を噛む家康。いけませぬなと正信。しかたあるまいと家康。豊臣家もつくづく運が無い、秀頼が凡庸ならばしぶとく生き延びられたものをと正信。その前にあのひげ面だと家康。服部半蔵の出番ですなと正信。

廊下を行く清正。その前から現れた半蔵。すれ違いざま、毒針を清正の首筋に刺した半蔵。2ヶ月後、清正没。

九度山。村の子供から、罪人の息子と言われてしょげている大助。父も爺様も罪人では無い、流れでこうなっただけの事と信繁。この世で徳川の軍勢相手に二度も勝ったのは爺様だけだ、お前にもその血は流れている、誇りを持てと信繁。

大助に喧嘩の仕方を教える昌幸。そして、そのまま大助の上に崩れ落ちた昌幸。

死の床に付いた昌幸。枕元の信繁に、自らが書いた兵法奥義を授ける昌幸。

遺言として、信繁に話し出す昌幸。いずれ徳川と豊臣は必ずぶつかる、その時はここを抜けだし豊臣に付け。これより話すのは徳川に勝てるただ一つの道、まず手持ちの軍勢で尾張を制す、徳川が攻めてきたら頃合いを見て尾張を捨てる、いったん近江まで引くが一時でも尾張を制したという事が大事、これで日の本中の徳川に不満を持つ大名の心を掴む。さらに、瀬田と宇治の橋を落とし、敵の追撃を阻む、その間に二条城を焼き払う、そうなれば徳川は大坂に攻め込むしかなくなる、それを大坂城で迎え撃つ。戦を長引かせるだけ長引かせよ、その間に徳川に対して反旗が揚がる、そうなれば大坂攻めだけに関わってはいられなくなる、やがては兵を引くしかなくなる、負ける気がせん、と昌幸。

父なら出来るでしょうけど、私には難しいのではと信繁。なぜと昌幸。私には場数がたりませんと信繁。私の策には場数など要らない、心得は一つと昌幸。教えて下さいと信繁。軍勢を一つの塊と思うな、一人一人生きている、一人一人思いを持っている、それを忘れるなと昌幸。

昌幸の枕頭に集まった一族郎党。上田に帰りたかったと昌幸。その時聞こえてきた馬のいななき。御屋形様、それが昌幸の最後の言葉でした。


今回は九度山の幽閉生活が描かれました。それにしても10年を一回で描くというのも凄いペースですね。

きりはずっとただの幼なじみとして描かれていますが、実際には信繁の側室の一人となっています。この回あたりで描かれるのかと思っていたのですが違いました。もう側室になるには年が行きすぎているので、このまま押し通すのかな。なお、ドラマで春が娘が生まれたら梅と名付けると言っていましたが、実際にはきり(内記の娘)が産んだ子の名です。

信之が捨てた幸の字を信繁にもらってくれと昌幸が頼んでいましたが、これは後から効いてくる伏線なのでしょう。こういったあたりが三谷幸喜らしい演出の仕方です。

景勝が米沢30万石に減封されたのはドラマにあったとおりですが、元々は兼続の所領であった場所であり、いわば主君が家臣の家に居候した様な形になったのでした。

秀頼が家康と対面したのも史実にあるとおりですが、その時付き添ったのは清正だけでなく、浅野幸長も行を共にしました。その時、偉丈夫に育っていた秀頼を見て、家康は危機感を覚え、豊臣家を滅ぼす事を考えたと言われます。清正の死因については諸説ありますが、毒殺説もその一つですね。ただ、半蔵を使ったというのはこのドラマ独自の創作と思われ、二条城での料理に毒が仕込まれていたとする説、平岩親吉が毒を仕込んだまんじゅうを秀頼に勧め、それを清正が代わって食べたとする説などが有名です。

小野お通は信之と怪しくなったと言われますが、このドラマではどう描かれるのでしょうね。稲さんは相当に怖そうですが、そんな勇気が信之にはあるのかな。

昌幸が信繁に語った必勝の策は有名なもので、ほぼドラマで語られていたとおりです。ただ、少し違うのは、信繁には無理だと言ったされている事で、その理由は信繁が大名ではないからというものでした。実際には、信繁も信幸と同格の大名になっており、この事から昌幸の必勝の策そのものが史実では無いと見る向きもあります。

それにしても、昌幸が死んでこのドラマもだんだんと寂しくなってきましたね。秀次ロストとかこのドラマに基づくロストがいくつかありましたが、昌幸ロストというのもあるのかな。戦国きっての策士の死が寂しく感じられたのは確かです。


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2016.09.24

京都・洛中 萩2016 ~梨木神社 9.17~

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平成28年9月17日の梨木神社です。この日は萩祭りの初日にあたり、大勢の人出で賑わっていました。

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訪れた時は居合抜刀術が奉納されており、「京都山内派 刀新會」による型の披露が行われていました。居合いというと気合いと共に刀を抜く様に思いますが、この流派は声は一切出さないという至って静かなものでした。しかし、動作の一つ一つはきびきびしたもので、やはり相当鍛えられているんだなと感じました。

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萩の方は、参道はほとんど咲いていなかったです。つぼみの出方も良い株と悪い株が混在しており、満開になったらどんな感じになるのかちょっと見当が付きかねます。

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本殿周りは、良く咲いている株で五分咲き程度、全体としては二分咲き程度だったかな。たぶん、今日あたりが見頃だったんじゃないかしらん。

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出来ればここももう一度確かめに行きたいところですね。参道はまだ満開には至っていないでしょうから、これからでも十分に間に合うと思いますよ。

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2016.09.23

京都・洛中 萩2016 ~幸神社 9.17~

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平成28年9月17日の幸神社です。この日は社前の萩が二分咲き程度になっていました。

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この前の週がちらほら咲きだったので、もう少し咲いているかと期待していたのですが、今一歩でした。今日あたりは丁度見頃になっているのかも知れません。

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もっとも、ここも雨の影響がどれくらいあったかに依るのかな。この日咲いていた分は散ってしまっただろうし、どれくらい見応えがあったのか確かめたいところではあります。

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萩は咲き方の良く判らない花で、早く咲く花と遅く咲く花とでは一ヶ月以上の幅があります。種類が違うのかと思ってしまう程ですが、開花予測の難しい花ですね。経験則で行く場所を決めているのですが、当たり外れが大きくて困っているというのが現状です。

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2016.09.22

京都・洛東 仲秋2016 ~真如堂 9.17~

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迎称寺から真如堂へとやって来ました。真如堂にも萩が多くあり、一番風情があるのはこの茶所前の株かな。この日は五分咲き程度になっており、秋がまた一歩進んだ事を感じさせてくれました。

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山門前では、季節が180度巡った様な光景もあります。桜が狂い咲きをしているのですね。この木は昨年も同じ様に狂い咲きをしていましたが、たぶん葉が虫に食われたか何かで散ってしまい、季節を勘違いしたのでしょうか。でも、2年続けてだと、木にとっても負担となるんじゃないかしらん。

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こちらは季節を先取りしたかの様な彼岸花です。前週に咲き出した彼岸花は、その後も止まる事なく咲き続けており、境内のそこかしこで咲いています。でも、この日回った中では梨木神社でも咲いていたので、真如堂だけが取り立てて早いという訳でもなさそうですね。

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その一方で、咲くはずのところでもまだシュートが出ていなかったりして、今年の気候がどう彼岸花に影響しているのか良く判らないというのが正直なところです。

話は変わりますが、その彼岸花を探して歩いている内に、本堂北東隅にあった抜け道が塞がれているのに気がつきました。本堂の裏手に回った時に、正面に戻るには便利な抜け道だったのですけどね、無くなるとは残念な事です。誰か頭をぶつけるとか事故があったのかしらん。

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帰り際、新長谷寺に立ち寄ると、いつもと雰囲気が違っていました。よく見ると提灯が新調されただけだったのですが、これだけでも随分と感じ方が変わるものですね。紅葉時分にはこの提灯に紅く色づいたもみじが良く映える事でしょう。2ヶ月後に訪れるのが楽しみです。

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